「介護士」と「介錯士」 高齢化の時代に「介錯士」が求められる理由

By | 2016年9月7日
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介護という誰もが反対しづらい「錦の御旗」

介護という名の延命は介護サービス、医療分野の「誰もが反対し得ない」錦の御旗としての血税の無駄遣い。もしくは利権構造の賜物にほかなりません。

この国では老人の票田に頼りきった、未来のない政治が行われています。そのツケは究極的に若者に押し付けられるのですが、それはつまり、現状での老人への政策は未来の若者へのリソースのタダ乗りにすぎないのではないでしょうか。

社会の持続についての建設的な議論を行うためはボケ老人の処遇については避けて通ることのできないものであると考えます。


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若者に負担を押し付けないための介護のあり方とは

ボケ老人たちが延命を望むのであれば、自らの資産の売却、介護現場職員への公平な賃金配分は最低限必要でしょう。また、介護施設は利益率と従業員の賃金の受け取り率を誰もが見えるような情報で開示し、それを求人票に掲載することも義務化すべきです。

介護人員はブラック労働で、起業家気取りの「福祉施設」経営者だけが儲けるようなことは絶対にあってはなりません。特に、それが「公的」な介護保険で行われているのですから、開示義務は当然のことだと考えます。

現在のマスコミ、メディアでは老人福祉はそれがさも崇高な分野であるかのようにイメージを装っていますが、何が悲しくて他人の下の世話をせねばならないのでしょう?しかもブラック労働で、低賃金で、昼夜逆転で。リアルな話を避け、プロパガンダのように抽象的問題として報じているに過ぎません。

若者が死んでゆくだけの老人の「介護」に従事することは、人的資源の無駄遣いにほかならなりません。本来、若者はもっと創造的な、社会を発展させるような仕事に従事しなければならないはずです。

ボケ老人たちの生存への強欲の末に、若者が前世代の負の遺産の被害者となることは絶対にあってはなりません。


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現代に必要な資格としての「介錯士」を考える

その解決策として、提案したいと思います。

ボケ老人についての介護士も必要かもしれませんが、本当に必要なのは、「介錯士」ではないでしょうか?

本来の意味での「介錯」とは切腹の際の断首を行う者を指しますが、ここでは痴呆老人に対して終末的な対処を行う者を「介錯」と記述しています。

つまり、ボケ老人への安楽死の合法化、およびその専門人材の育成ということを社会派真面目に検討すべき段階にあるのではないでしょうか。それは延命治療の選択的禁止、もしくは、ボケる前に自分で選択的に痴呆症状発症後の「生き方」を選択できるようにすべき、ということです。

具体的には、痴呆発症後の「引き際」の際には薬物による苦痛の緩和を伴う、積極的治療の拒否、およびその際の「人間的な最期」となるように周囲が対処することが一番良いのではないでしょうか。そして、ボケ老人には枯れるように亡くなる、というプロセスになります。

無論、その場合、国家はこれまで社会に貢献した国民に対し、最上のホスピタリティをもって対応することは当然ですし、そのために「介錯士」をつくり、それらをマネジメントすべきです。より良く生きるための資格が「医師」であるならば、より良く最期を迎えるために「介錯士」も絶対に必要なのではないでしょうか。

それらは初期には大きな労力と予算が必要になるかもしれませんが、その予算は無駄にボケ老人を延命させることを考えれば微々たるものでしょう。


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