尊厳死に賛成する理由 尊厳死は人間的な最期のための権利であり、選択肢だ

By | 2016年8月6日

※2016年8月6日記述 2016年11月8日追記

痴呆老人への尊厳死の導入に賛同します

高齢化待ったなしの日本です。私は痴呆老人についての尊厳死を導入することに賛成します。それはネガティブな「死」の議論ではなく、「いかに生きるか」の議論と等しいことです。

現在の高齢化率は以下のように発表されています。

高齢者人口は3384万人、総人口に占める割合は26.7%と共に過去最高

80歳以上人口が初めて1000万人を超える

総務省統計局 統計トピックスNo.90 統計からみた我が国の高齢者(65歳以上)-「敬老の日」にちなんで-より引用  http://www.stat.go.jp/data/topics/topi900.htm

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外国人看護師という欺瞞に満ちた利権維持

介護人員が足りないなら、外国人を働かせれば良い、などというトンデモ議論があります。しかし、それは問題をすり替え、「タブー」と言われている尊厳死を直視しないための愚論に過ぎません。

なお、この問題については「老人の票田」という政治家にとって切実な問題もあるのですが、それはまた別の機会に論じます。

一体、何が外国人介護士なのでしょう? そこまでして医療、医薬、介護利権を維持したいのでしょうか?現在でも介護人材が不足していますし、事実、若者を何ら生産的活動ではない介護という仕事へと低賃金で追い込んでいる現実があります。

その上で、その国の国民が忌諱する職業に「人材の国際化」などという寝言を吐きながら、外国人を就職させようなどとは外国人蔑視も甚だしいことです。それは日本国による外国人差別そのものと言えるでしょう。

また、その際には為政者たちは「外国人看護師の滞在期限は上限5年」とでもして、「雇用の流動」とでもほざくつもりなのでしょう。

そもそも論で、アジア各国での経済成長が目覚ましい今日、彼らが老人のシモの世話を行いに、この国に来てくれるとでも思っているのでしょうか?それは、他国の経済的状況を余りにも軽視した、無責任な楽観論に過ぎません。

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子育てと老人介護は将来性という意味において全く異なる

たとえば、子供がわがまま放題に泣き叫び、イタズラ放題であったとしても、社会、両親の責任でいくらでも有用な人材となります。

それは未来への投資であって、社会はそれに対し積極的に関わるのは当然のことです。教育に投資をすれば、たった20数年後には社会に納税という形で確実に社会に返還されるのですから、国内需要や子育てにプラスになり、かつ実りのある、誰にとっても損のない、確実な投資先は教育以外には存在しないでしょう。

もっとも、それすらもできていないのが今の日本の現状ですが。子供の貧困、と言われますが、それは「富の再配分」の機能を放棄した社会の末路です。

「女性の社会進出」との錦の御旗のもとに「20年に及ぶ非正規雇用のツケ」と「所得の再配分の失敗としての勤労者の賃金の低下」を働く者に押し付けているにも関わらず、幼稚園すら満足に足りていない。一体、どこのお笑い国家でしょうか?ギャグですか?

少なくとも現在の医療技術では、ボケ老人に未来はありません。彼らは過去の栄光にしがみつき、人金、金銭などの社会的リソースを食いつぶしている、と言わざるを得ません。

尊厳死とは人間の究極の権利である

自ら死を選ぶ権利は人間として最も崇高で当然の権利だと思います。誰にも迷惑をかけずに、自らの人生の締めくくりを行う。なんと人間らしい行為でしょうか。それを「老人の人権」という思考停止フレーズで考える事すら遮断している事こそ、人権に対する軽視そのものです。

「自分の最期を決定する」、そんな当然の権利を、この国では医療医薬利権と一部のカルト的価値観を有する政治家たちによって阻害され、彼らのプロパガンダにより、その話題を口にだすことすらタブー視されている現状があります。

全ての人間に等しく最期は訪れるものです。なぜ、それに目を向けようとしないのか、醜い利権の綺麗事による空虚な言葉で覆い隠されているようにしか見えません。

無論、尊厳死を「全員に、必ず導入」せよ、と主張する気はありません。それは個人の判断に任されるべき事柄ですし、それを強制することは、ナチズムと等しいことです。

しかし、尊厳死を「選択することができる」権利は、成熟した社会には絶対的に必要なものではないでしょうか。それこそが成熟した社会のあり方です。

自分の最期を考えること、それはすなわち、自分がいかに生きるか、という極めて重要な問いかけと同じことだと考えることです。

尊厳死の議論を今すぐはじめよう

為政者の垂れ流す「美談」で介護の問題を思考停止に陥らせてはなりません。政治家、医療関係者の目先の利権とカネをカモフラージュする意見に惑わされてはなりません。

尊厳死を今すぐ議論しましょう。

そこにある「自らの最期の決定」の議論とは、すなわち、「いかにして自らの人生を生きる」かの議論です。自分の人生を「最期」の視点を含めて、より良く生きることのできる社会を考える、それが尊厳死とイコールで議論されるべき課題です。

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