日本はアニメ産業をもう諦めるべきだ ブラック産業を全世界に喧伝するお寒い日本

By | 2016年10月27日
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アニメを世界に喧伝することに疑問を抱こう

安倍首相がリオデジャネイロオリンピックの閉会式において、マリオの姿で全世界に奇異性を晒した事は記憶に新しいところですが、日本はコンテンツ産業としてアニメーションでクールジャパンと称し、それらを全世界に撒き散らす戦略を取ろうとしていますが、もう本当、いいに加減にアニメーションは諦めてはいかがでしょうか?と思うわけです。

無論、それが日本のオリジナルであることは理解できますが、あまりにもその産業は不健全であり、本来、アニメ産業自体がもはや限界的産業なのではないでしょうか。

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ブラック産業としてのアニメ業界

アニメ業界の雇用形態として、フリーランス形態を取っていて、拘束時間が長い割には手取りが10万円程度、下手をすると10万円を下回ってしまうことが普通に起こりうる業界です。

それは委託形態を使い、出来高制という名のものとの「違法性のない」低賃金なのだそうですが、では、「日本発の文化」として、アニメを喧伝している者たちは、その金額で制作させていることに疑問を抱かないのでしょうか。

そのような業界で作られたコンテンツとしてのアニメーションを日本の代表産業だ、と主張する時点でもはや国家として良識を疑わざるを得ません。本来、アニメの現場の惨状を知っているならば、それは労働環境が改善されるべき業種、として取り上げられるべきではないでしょうか。

それはすなわち、ブラック産業で作られたコンテンツを放送局や代理店が利用して、そこで製作者以外が儲けを取り、それで「日本が凄いだろう素晴らしいだろう」と自己満足に立っているそんな構造自体が不健全です。

誰かの犠牲の上に、「文化」が成り立つ。そんな「文化」は健全な文化とは到底言えるものではありません。

もうアニメーションあきらめましょう

アニメーションは、制作するスピードの割にそれを消費するスピードが異常に早いのです。アニメの放送スケジュールもそうですし、その流行も同じです。

それにも関わらず、それが制作できる、その産業の体制が維持できるのは、まだアニメーションという分野に人気があるから、ラックな業界構造をそのまま保存できているだけなのです。つまり、典型的なブラック産業なのかもしれません。

その業界に入りたいと思う、低賃金の若者が存在するから成り立つ、それは業界の不健全性そのものです。ましてや、それを国家お墨付きで喧伝することなど、絶対にあってはなりません。

アニメーションという物語の表現手法について、私はなぜそのような表現手段を取らねばいけないのか、正直なところ理解できません。

アニメを代替する現実的な手法として、動画ではなくイラストに対するアフレコであったり、もしくはかつてのフラッシュ動画のように、少人数での制作、もしくは趣味としても成り立つような表現手法として本来、アニメはあるべきなのではないでしょうか。

視野の広い考え方をするならば、そもそも大人がアニメを見ているからこそ、それなりに産業が成り立つのです。それは日本人が大人になりきれていない、もしくはあまりにも酷すぎる社会状況であるが故に、それらのアニメーションに現実逃避をしているかもしれません。

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アニメーションを自国の産業として喧伝する幼稚な日本

世界的に見ればアニメーションは子供のためのコンテンツです。それは、この国が大人になりきれてない、とも言えるわけです。社会が成熟し、「大人」としての振る舞いができないからこそ、アニメの制作環境のようなブラック産業が成り立つことができるのです。

それは、作る側も、受け取る側も、双方の問題といえることでしょう。

自画自賛的にアニメーションを全世界に向けて発信している日本は、未だに大人になれないし、そして大人になれないまま日本社会全体は高齢化をし、それどころか問題を温存し何ら改善できないまま、老化、劣化している、非常にいびつな状態と言えるのではないでしょうか。

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