文士とブロガー、ブロガーは人間のクズであることを隠してはならない

By | 2017年8月17日
blogger-garbageday

「文士」のクズっぷり

私は10代の中間ぐらいに太宰治をかなり読んでいたのですが、今、ふと気になって、それらのいわゆる「文士」と呼ばれるような人々の振る舞いを調べてみると、いわいるところの「人間のクズ」と呼ばれるような行動が多々あります。

文学界において三大クズと言われるのは太宰治、中原中也そして石川啄木と言われますが、太宰治は「桜桃忌」に代表されるように、愛人と入水自殺をし、石川啄木は借金を重ね、傲慢な態度、中原中也に至っては自分を尊敬する太宰治をボロクソに虐め抜くという、ほぼ性格破綻者の様な行動。

とはいえ、だからこそ彼らの書いた文章や詩は面白いのです。文章はどんなに綺麗に着飾ったとしても、そこを通して人間の本性というものが現れるものです。その際に持っている文豪の屑っぷりが、文章から、かすかに匂う狂気として面白さを呼び起こすのではないでしょうか。

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現代のブロガーは文士の足元にも及ばない

時代は変わって私の嫌いなブロガー達のブログ。特にこの記事では絶対に名前を挙げることはしませんが、いわゆるところの「クズ」が多数いるような気がします。

ただ、それにもかかわらず、彼らの書くテキストに面白みを感じることができない理由とは、彼らが文学的教養と信念がないがゆえに、自分の書く文章というものを、ひたすら金を集めるためのテキストとしか認識できていないのでしょう。

もし彼らが文学というものを知り、自らの金銭欲と顕示欲の屑っぷりを余すことなく表現するのならば、それは現在の退廃的文学とも言えるのではないでしょうか。

つまりブロガーどもは、小手先のアクセス集めの文章を書くな、自分の屑っぷりを書け、と私は主張したいのです。

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ブロガーはクズっぷりを売りにせよ

ブロガー達は自分のブログに信者や、自分のブログからアフィリエイトの物やサービスを買わせるかために、自分がいかにものを知っているか、自分はいかに面白い人物で、あり、いかに注目すべき人物であるかということを声高に主張します。

しかし、そうではなく、自分の屑っぷりをニヒリスティックに、そして世界に挑戦するかのように書いた方が、よほど面白い文章なのではないでしょうか。

どうせwebの空間上に自分の実名と顔写真をさらしてしまえば、もはや常識的な生き方に戻ることなどできないのですから、開き直って、自分がクズであることを堂々と認める方が面白いブログの書き方ができるのではないか、と思うのです。

どうせ、失うものがないのであれば、自分をあたかも「社会の敵」であるかのようにweb上にその存在をさらけ出し、自分の屑っぷりを誇示するかの様な文章を書き、
「自分のウェブサイトから商品を買え!」と上から目線で命令するかのような内容の方が、よほど清々しいと思うのです。

文学的に書くならば、

「愚民ども、余の生活のために我サイトから余が推薦する商品を買ひたまへ!」

と言った感じでしょうか。変に上から目線を隠し、へりくだって物を売りつけるよりも、よほど清々しいクズっぷりのエンターテイメントとして面白いでしょう。

安全圏から物やサービスをを売りつけようとする性根の見え隠れするブログなど面白さのかけらもなく、ただ単に醜いだけです。それは「クズ」と言う言葉すらもったいなく、単なる小心者の振る舞いに過ぎません。

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