書評 外山恒一著「さよならブルーハーツ―パンク日記」–正しい青春の間違い方を描いた珠玉の、でも笑える一冊。

By | 2016年9月26日
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著者外山恒一とは?

東京都都知事選挙の政見放送で、「どうせ選挙じゃ何も変わらないんだよ!」と吐き捨て、中指を立てるパフォーマンスでウェブ上の「ネットアイドル」として有名になった外山恒一氏によって20代に書かれた一冊。


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内容

すんごくおバカな主人公が巻き起こす愛憎満ち溢れた、ちょっと非日常な日常劇。でも、そのおバカさ加減が本当に物凄く「正しい」方向だと思うのです。

今のウェブを見ても、どのブログを見ても「自分のこと」しか書いていないですよね。あとは「金が儲かる」とか。
この本では、そういった、「私語り」ではない、本気で

世界変革

を目指していた、そして今でも目指している若者が書いた著書が書いた一冊です。そんな本が面白くないわけがない。しかも、学生運動や社会運動が衰退し、バブルで世の中が浮かれていた90年代においての話、ですから。

著者が取っている行動は現代の基準で見れば「ニート的行動」そのものなのかもしれませんが、ともかく行動力がある。半端ではない行動力。それが「ニート」とはまったく異なる部分ですね。

遅れてきた社会運動としてのパンクとして、なぜか街頭ライブで食っている著者。そんな著者の「文系パンク」の鬱屈した日々と、「クサレ左翼」を粉砕するために「ブルーハーツのライブ粉砕」を行うという一種のカタルシス。


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なぜこの本に共感してしまうのか?

クサレ左翼を否定せよ、フェミニズムを否定せよ、管理教育を否定せよ。

これらを著者は本作の中で繰り返し主張していますが、実は私、全部賛成です。

本書は青春日記としての、ものすごーく青臭くて、でもやたらと行動力のある、そして鬱屈した、そんな初期衝動に満ち溢れた、おバカな、でも考えさせられる一冊なのです。

本当は、10代の後半や20代の前半って、絶対に社会に対して敵対心なり被害感なりを抱かないといけないはずの時期だと思うのです。

著者も本書でも著者はそれらの事実に、ものすごく苛立っている記述が多数あるのですが、この著作が書かれた90年代よりも、更に現代の社会って悪化しているのです。ウェブではもうその極限状態です。

「何を主張しても良い」ウェブにもかかわらず、SNSやTwitterといった「お仲間内の」狭い世界に安住してる若者よ、この一冊を読め。外山恒一が「青春の初期衝動に基づく正しいジタバタの仕方」を示してくれる。

若者よ!ネットやSNSの狭い世界に安住することなかれ。社会に出よ。社会とジタバタしろ!たとえそれが「愚行」や「初期衝動そのもの」であったとしても。そして、その際に、この本を読め!

本書に書かれた青春、これが正しい青春なんだよ!

追記

さて、外山恒一氏、20代の時にこれだけ面白い本を書いていながら、今でも、いや、むしろ今の方がさらに「過激」に、そして面白い活動をされてるのですよね。

例えば外山恒一氏という名前で検索、もしくは「人民の敵」という web マガジンを検索すると、氏の活動の内容をwebで、現在進行形として知る事ができます。

これって実はかなり、すごい事だと思うのです。 「自分の好きな事」、しかもそれは賛否両論どころか「過激」な政治的テーマを、個人で20年以上も主体として主張し続けることができている、という事実。

継続は力なり、などと言いますが、彼の生き方そのものが非常に興味深い人生です。 無論、彼はミュージシャンという副業をしつつ、それらの活動を行っているのですが…。

今、学生の就職といえば、大企業に入っての安定性など、こじんまりと縮まったような人生の選択肢がもてはやされますが、外山恒一という人物の生き様を調べると、人生とは、このように面白く、このように楽しい生き方を、工夫次第でいくらでも可能なのだ、と生きる方法の選択肢について否応なく気づかされることでしょう。

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