葬式仏教に対応する宗教としてのキリスト教の葬儀、切磋琢磨と宗教

By | 2017年9月29日

葬式、カネかかりすぎですよね

日本でこれだけ少子高齢化が叫ばれ、社会が縮小しているにもかかわらず、子供を産む時にお金がかり、育児用品や、待機児童育さえ出ています。

その一方で人、が死ぬと葬式をし、坊主が来て戒名という漢字の羅列に何十万、何百万という金銭を要求する。

仏教を始めたのは釈迦ですが、釈迦は「戒名をつけないと地獄に落ちるぞ」とでも言ったのでしょうか?

釈迦は社会インド現在のインドの地方で生まれましたが、彼は全知全能で、異国の漢字を読めるのでしょう。(嘘です)

私は仏教そのものを否定するつもり一切ありません。本来の仏教とは輪廻転生の輪から外れることを目指す思想体系です。

それが日本に伝わった時に、同時に大陸系仏教の「ご利益」を求める思想が日本に入り、さらに、それが日本の神道と結びつき日本の独特の仏教文化をつくりました。

しかし、それが現在の葬式の戒名、それにより金銭をむさぼる坊主たちの振る舞いを見ても分かるように、単なる金儲けのためのツールに成り下がっています。

私はここでは特定の仏教宗派について批判をするつもりはありません。しかし、それらの現在、起こっている問題に見て見ぬふりをしている、それはまるで労働基準法違反を見て見ぬふりをしている、この社会の構造と何一つ変わる事はないように見えてなりません。

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日本の仏教が「葬式仏教」と罵られる状態こそチャンス

さて、「葬式仏教」と罵られる仏教であるからこそ、葬式についてはキリスト教が存在感を出しても良いのではないかと考えます。

事実結婚式ではキリスト教徒でもない者が、教会でバージンロードを歩きます。そのために洗礼を受けるなどの事例も多々あるようです。

自分の寿命が判明した場合、それは癌や何らかの不可逆な病気になった場合、その時点からキリスト教徒になる方法も宗教的な選択としてありうるのではないでしょうか。

つまり葬式仏教に対抗する、人々の心に最期に寄り添うためのキリスト教、という戦略が日本のキリスト協会にはあって良いのではないかと思うのです。

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キリスト教は「平和」宗教ではない

ただ、私はキリスト教を肯定しているものではありません。
キリスト教は日本におけるイメージでは、平和的な宗教というイメージがありますが、しかし十字軍の遠征、レコンキスタなどと言われる様に戦闘的、他教に非寛容な宗教です。また、中世における魔女狩りなどを見ても分かる通り、きわめて他教に非寛容的な宗教です。

それが宗教改革などの民衆の要求により、やや態度を軟化させているのが状態が現代のキリスト教を取り巻く状態でしょう。

ちなみに、葬式キリスト教として成り立つのであれば、プロテスタントの方が良いかもしれません。カトリックはあまりにも伝統にがんじがらめですが、プロテスタントであれば、一定の寛容さのもと、キリスト教が人間に奉仕する、その様な考えは十二分にありうるかもしれません。

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生まれるのも、死ぬのもカネがかかる日本

私はキリスト教を肯定的に見るものではありません。

しかし、現在の葬式仏教を見ていると、人間の死が金銭への直結として、利用され過ぎているのではないかと思うのです。

しかも、それは「本来は人間を救うべき」宗教の名のもとに、です。であるからこそ、キリスト教は本来あるべき思想と人間の生き方の融合を示し、その上で「変われるのであれば」、仏教も変化を模索すべきではないでしょうか。

つまり、「思想」としての切磋琢磨を行い、より良い社会にするために、キリスト教の葬儀は大きな存在意義があると私は考えています。

まあ、正当なキリスト者からすれば、異端も異端の考え方なのでしょうけれど。

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