共産主義宗教の現実的な終焉方法について、もしくは宗教としての共産主義の終焉

By | 2017年2月3日

宗教としての共産主義

現在の世界三大宗教とは

  • キリスト教
  • イスラム教
  • 仏教

と言われますが、私はこれに20世紀前半に新しくできた宗教として、共産主義を考えます。

こんな事を書くと共産主義者たちは、「共産主義は宗教ではない」と言うのでしょうが、しかし、私から見ると共産主義は宗教にしか見えません。共産主義は考え方の大前提に性善説があり、かつ資本家と労働者の対立、という善悪の区分による考え方、それ自体が宗教的な信念と、捉えうる矛盾があります。

今、イスラム原理主義などにおいて自爆テロなどが起きていますが、それと近いような事が日本でも1970年代において、一部の過激な共産主義組織によって行われてきました。例えばそれは交番の爆破事件、共産主義団体同士での内ゲバ殺人事件など、少なからぬ事件が共産主義だちによって起こされています。

現在ではそれらの過激化した共産主義が徹底した取り締まりの対象となり、その過激性を潜めている状態です。

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共産主義の今後の在り方

共産主義が日本でこれ以上、大規模に発展することは、まずないでしょう。

ただ、ワーキングプアや派遣労働者などの人々が共鳴をする事は理解できます。実際にそのような過激な共産主義組織に一部の若者が共感し、新メンバーが若干数増えているという現状はあるようです。

どんな宗教であっても、それは、その宗教の考えを第三者に広める事を前提として成り立っているのですが、例えばそれが純粋な宗教であれば、その考えを伝えることによって、自分の死後、天国に行けるなどの「大義」を持つことができますが、共産主義はそれがありません。

共産主義においては、自分たちの考えが絶対に正しいのであるから、それを絶対に世界中は受け入れるべきである、という、ある意味、傲慢な思想が根本にあります。しかも、それには暴力すらも肯定してしまう、という大問題すらあります。

その、「理想」の悲劇の実験室としてソ連が存在したわけですが。

共産主義者たちは、そう言った過去の悲劇を直視し、例えば小さな無人島を買って、そこで自給自足暮らしを行うのが最も現実的な手段ではないでしょうか。

彼らの望む自給自足でジェンダーフリーでフリーセックスで私有財産の否定、大いに結構なことなのではないでしょうか。それが「閉ざされた空間」にあるのであれば。私はそれに賛同も共感もしませんが。

実際にそれに近いものとして、経済的な試みとしてはヤマギシズム、新しき村という具体例もありますし。

共産主義を国家や世界共共通の「主義」として考えるのが悲劇の根本であり、それは共感する一部の人々がコミュニティ内で実現するのが、本人たちにとっても、そして一般の世界にとっても幸せなことなのではないでしょうか。

共産主義者達は自分達コミュニティを作って、その中で暮らしをしていく、そして、そこに共感する若者は、そこに身を投じる、とするべきでしょう。

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共産主義者の誤りと宗教性

共産主義者は、警察からの取り締まりを受けると、「それは自分たちの考え方が正しいから弾圧される!」と言うのですが、そういった人生で本当に楽しいのか?と疑問を抱きます。

それで当人たちは楽しいのかもしれませんが。ただ、それはもう政治思想の枠を超えた「宗教的情熱」と考えるのが自然に思えてしまいます。

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私のブログのスタンス

おそらく、私の「警鐘と現象」は、ネトウヨや「保守派」からすると、とてつもない共産主義者が書いている、と思われていそうなのですが、実は私は共産主義に反対です。私はリベラルの視点からこのブログを書いています。リベラルから見た、共産主義の現実的な終焉方法について書いてみました。

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