「絶望の党」、なぜ「保守」と自称する者は胡散臭いのか、「保守」という看板の誤り

By | 2017年10月9日

小池新党なる、第二自民党

自称「希望」をうたうもの達の集団は、私からすると「絶望の党」にしか見えません。

民進党の保守系議員を取り込み、大政翼賛会的な議論を推し進めようとする。そこには、もはや理性的な考え方がないのではないか、と疑わざるをえません。権力を得るための「政治のための政治」、そんな言葉が一番ぴったりなのではないでしょうか。

歴史を見ると独裁者とは微笑みながらやってくるものです。そして、その独裁者は一見良いことを言いながらやってくるものです。そして、民衆が彼、彼女に全権委任を喜々として行い、社会は崩壊へと向かうのです。

また、絶望の党とは、自分たちでは口にしませんが、それは手垢のついた保守思想に他なりません。

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保守主義者たちの究極的行動の一例

では、彼らが保守しているのは一体何なのか?と考えた場合、それは「現在存在する利権を保守」しているようにしか見えないのです。しかも、それは市井の民の持つ権利ではなく、一部の特権階級の者達の利権を保守していることです。

保守と同じような胡散臭い言葉として「愛国」があります。この言葉は先の大戦に多々用いられましたが、結局、最期に悲惨な目にあったのは一般の市民にほかなりません。

また、敗戦直後、当時の満州などでは、政府高官はいち早く敗戦の事実を知り、自分とその家族だけは真っ先に本国に逃げ帰ったのに対し、残された一般の市民と兵士は地獄の目を見ました。

それはシベリアに抑留された兵士もそうですし、また、社会的に弱い立場に有る女性たちも、引き上げ時には「女性として」地獄の苦しみを味わいました。

つまり、現在の保守派が肯定する「勇ましい」「普通の」日本としての戦前の日本で何が生じたのか,それを知ることは、保守派と呼ばれるものたちの究極的な行動の根本を知る上での大きな手がかりなのではないでしょうか。

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それは「保守」ではない

一体、何を彼らは「保守」しようとしているのでしょうか。

私はこのブログで少子高齢化の対策をするべきであるということを解散総選挙になる前から訴えています。これだけ少子高齢化が進み、社会のパイ自体が縮小してゆく中で、保守と呼ばれるものたちは、一向に少子化への対策を行っているようには見えません。

少子高齢化選挙をテーマとして訴える政党がありますが、それはただ単に消費税の増税のための口先のスローガンにすぎないでしょう。そもそも100年安心などと、言いつつ消費税を増税したのは一体何だったのでしょうか。彼らの言う少子高齢化対策など、ただ単に役所の利権を増やすための増税の口実に過ぎません。

本当に少子高齢化対策をしたいのであれば現在の劣悪な労働環境を改善する以外に道はありません。いったい誰が将来的に自分の収入もそして生活も保証されない様な仕事において恋愛や結婚をしようとするのでしょうか。

また結婚を外してもパートナー同士お互いがブラック企業でヘトヘトになるまで働かされてその様な状況で本当に子供を作り産もうとするでしょうか。

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権力者の口車に乗せられてはいけない

保守を自称する者たちの権力争いとは、いかにして庶民を取り込むか、いかに聞こえの良いサービスフレーズを連発連呼するか、に他なりません。

それらは一見耳障りの良い言葉です、が本来そこに求められる根本的な対策は、それらの耳障りの良いフレーズには何ら含まれていません。

結局それは庶民を愚弄した自分たちの権力争いに他ならないものです。自分たちの将来は自分たちで決める。政治は決して「誰かにおまかせする」ものではありません。

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