東日本大震災から6年 日本は変わらないのではなく、本性をさらけ出した

By | 2017年3月11日

過去ログをあさっていると、6年前の3.11直後に私が予想した世界観が出てきましたので掲載します。

2011年3月12日当時の未来予想

  • 原発後遺症の白血病などの多発により、現在の延命治療中心から苦痛を除去する治療に移り変わる。
  • 同上の理由により、痴呆老人に対する扱いも現在とは変化する。
  • 「死」が絶対的に忌諱するものから最終目的地へと意識変化。
  • 東京一極集中のリスクが指摘されるようになる。
  • 社会の考え方が変わるかも。これまでの滅私奉公、経済活動最優先の考えではなくなるような。より個人主義的な考え方が広まるのかも。
  • 社会、会社が個人にとっての絶対的なものから単なるシステムへの認識の移行。

はい。かなりハズレです。

私が予想していた、尊厳死や安楽死といった議論は全くなされていませんね。また、個人主義どころか、「食べて応援」などという戦前に逆戻りしたかのような全体主義的なフレーズが流行りました。

確かに一部の「意識高い系」ブロガーは「会社をやめてフリーランスに」、と言っている流れ、また、ブラック企業の問題についても議論は盛り上がってはいますが、「その問題を考えざるを得ない」のは、少子高齢化による労働力人口の減少が最たる原因ですが。

私は6年前には結構オプティミスティックな感覚を持っていたため、3.11のような大震災が起きたのであれは、日本人はこれまでの価値観を見直すであろう、と楽天的に考えていたのですが、実際はそうではなく、それどころか逆に集団主義に陥り、復興という名のもとにハコモノを乱造し、挙句の果てにはオリンピックを誘致するという、まさに日本人の集団主義根性を満天下に示したものとなりました。

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集団主義の極限点としての地震

つまり、日本人というは自分の身に降りかかった恐怖、しかもそれが社会に共通認識とされるような恐怖を受けると、集団主義に自然と回帰するのかもしれません。それは思考よりも先に、本能的にそうなる可能性すらあります。

それは最近のブラック企業に 見られるような「右にならえ」の精神が DNAレベルで 含まれている為なのかもしれません。

ブラック企業が跳梁跋扈し、過労死レベルの残業を行なう社会が、変わりたくとも変われない、それどころか現状の状況を肯定することに必死になる、そんな行動の根本的原因なのかもしれません。

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次の大地震への強い危惧

3.11の結果とは「絆」だの「食べて応援」などに見られるように、戦中のプロパガンダ・スローガン「進め一億火の玉だ」をマイルドに表現したものにほかなりません。

また、福島の避難者の子供をいじめる、などとは70年前に疎開を行なった子どもたちが田舎の子供からいじめられた、それらの事実と何一つ社会的なマインドが進化していないことの現れです。

次に起きると予想されている南海トラフ大地震において、さらにこの傾向が強くなる可能性が非常に高いと私は考えています。南海トラフ地震の場合、構造線の真上に伊方原発などもありますし、物的、人的被害としては3.11よりも最悪の状態が待ち受けているかもしれません。無論、社会の風鳥は3.11よりも更に激烈な集団主義へと回帰するでしょう。

無論、そのような悲惨な日が来ないことを願ってはいますが。

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