リベラリストだが、エコロジーなど本当、どうでもいいと思う理由

By | 2017年8月4日

環境保護の欺瞞性

原発爆発を起こして、放射線基準を変えて「安全」宣言。では今までの基準は一体何だったのでしょう?

エコロジーなどと言う前に、人間の環境としての内部被曝を言うべきでしょう。それが私が現在エコロジーについて非常に欺瞞であると感じざるを得ない部分です。

現在進行形で福島第一原子力発電所の爆発事故による、内部被ばくの問題性が取り沙汰されているにも関わらず、今現在で原発を再稼働させようとしている、もしくは、稼働した原発がある事実、それこそが、もはやエコロジーの最大の矛盾点と言えるのではないでしょうか。

しかも、その原発とは、その使用によって生ずる放射性廃棄物の最終処分地すら国内で決定する事ができない、まさしく、「今さえよければ、将来はどうでもいい」そんな行為が国を挙げて行われている、中で、何がエコロジーでしょうか。

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自己満足のためのエコロジー

エコロジー行為は、それは特に左派の政治的な敗北としての代替物、もしくは、その敗北を自分が認識しないために「自分は環境問題に取り組んでいる」との詭弁としか捉えようがありません。

極東の島国の日本において、たかだか1億人程度がエコロジー行為に励んだところで、中国やアメリカでガンガン石油を使っているのですから、彼らに対する何らかの働きかけをしない限り全く無意味な行為ではないでしょう。

行政の欺瞞としてのエコロジー

また、別の見方としては行政の欺瞞としてのエコロジー見方も可能です。それはゴミの分別によるエコロジーと称する市民への無料奉仕の押し付けなどもその一環として見る事が出来ます。

そもそもゴミの分別自体をする必要はないと私は考えます。また、ゴミの分別をしなければ、ごみ焼却炉運用できない、と言うのであればそれこそ公務員の給料を賃下げを行い、その税金で分別不要の新しい焼却炉を作れば良い事です。

自分達の給料を守るためにエコロジーを錦の御旗と勘違いしているとしか私は見る事ができません。

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そもそもこの国自体の将来性が真っ暗

そもそもエコロジーなどと主張する暇があるのであれば、この国の将来性について深刻に考えるべき時期なのではないでしょうか。

人口減少が叫、労働力人口が叫ばれ、もはや議会すらも維持できなくなった地方自治体が存在すると聞きます。そのような状況の中で何がエコロジーなのでしょうか。

エコロジーなどと言う時間があるのであれば、まずは子育てを行い、社会を持続させるために、ために現在の社会でのおかしな点、すなわち、ブラック企業や期間限定従業員などの不安定雇用を是正する事が必要です。

そして、子育てに対し行政がしかるべき責任をもってそこに関与させるなどの、まずは社会の持続安定性の見通しがついた上で初めて、エコロジーなどという趣味的な話題が出てくるのが、本来あるべき順番ではないでしょうか。

確かに中国などの「将来ある国」での環境保護は必要

そもそも本気でエコロジーと言うのであれば、それは中国を巻き込んだ国際的な開発協力が最も効果的な形ではないでしょう。

無論、それは善意などではなく、「環境の悪化は医療費の増大を招く」などの現実的なビジネスの問題として両国で商業活動として行われるべきであって、善意の押しつけは双方の国にとっての不幸の結果しか招かないのは明白です。

エコロジーなどと、それは中長期的な視点に立つ人間のメリットがない限り、取り組みをしようとは誰も思わないでしょう。

環境保護に「老人優遇」を

もう日本は衰退するだけの老人国家ですから、「老人をイジメないで!」など言って、国際的な「環境基準」から脱退したら良いと思います。

日本は自称先進国だか何だか知りませんが、そのような安っぽいプライドだけでエコロジー欺瞞に、左翼も、行政としての右翼も未だにそこにしがみついている。

そんな事時間とエネルギーを浪費するのであれば、もっと他に議論すべき問題は我々がすぐ目の前に存在していると思うのですが。

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