左翼、極左の若者は自分で考える事を放棄している 左翼、極左思考の矛盾

By | 2017年8月18日
extremeleft-left-wing-thought-abandonment

普遍的リベラルの主張としてのこのブログ

私のこのブログは、いわゆるネット右翼もしくは保守派と呼ばれるような人達からすると左翼も左翼、極左ブログと罵られかねないような内容を書いている、のかも知れません。

しかし、私はいわゆる左翼でもなければまた、共産党や過激派と呼ばれる組織を支持も、同感するつもりも一切ありません。

また、リベラリストを自任していますが、民進党についても批判的な記事を書きます。ただ、それはネット右翼の様な揚げ足取りの議論ではなく、あくまでも建設的議論としての批判を書いている、つもりですが。

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左翼の変節としてのソフト化

共産党や過激派はいまだに存在しますが、実際のところ、彼らの主義主張は、彼らの歴史を見ている、と、かつての先鋭的な過激な主義主張とは随分異なった、ソフトな主張になっているのです。

それは時流に合わせたソフト化考え方もできますが、しかし、その根底にある者は自分達の組織を存続させて行く為の現実との妥協とも考える事ができます。

それらの組織は、多くの場合、専従と呼ばれる、それらの政治的活動をする事だけで生活をしている、者、すなわち、それは支持者からの献金によって生活をしている者が存在します。それらの者達の生活を守らねばならないのですから。

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私は彼らに訴えたい

若い時間は二度と戻ってこないのだからそんな事をする暇があれば自分の人生を楽しもう。

私は社会の問題についてこのブログで散々糾弾を行っています。しかし、だからといって私は一切いかなる政治的組織、もしくは、団体などには属していません。

政治など、自分のアタマで考えないと無意味だと思うのです。もちろん左派は右派よりもイデオロギーについて系統だった考え方が存在し、いわゆる右翼の様な感情的ではない、システマティックな考え方の上に、それらの主義が成り立っている事は理解します。

しかし、だからこそ、そのシステマティックな考えに自分の人生を埋没させてはならないと思うのです。人間が人間らしい生き方をする事、平等な社会を目指す事、それは人間として極めて当たり前な感情です。それらを私は一切否定するつもりはありません。

しかし、そのような主義主張は左派ではなくとも、宗教団体であっても同じような事を言うのです。「宗教団体に属している平和主義者」とは、それは左派のシステマティックな考え方ではなく、自分の所属する教団の考え方を使って社会を理解しようとします。

それと同じような事が左派にも生じている、のではないか、と思ってしまうのです。

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自分の頭で考え、主張する必要性

もちろん左派のイデオロギーによって世界を理解する事は、ネット右翼や保守派などの差別意識や選民意識にまみれた考え方よりは、はるかに良いでしょう。しかし、それは集団主義言葉と個人で考える事は全く違う者ではないでしょうか。

社会に対する怒りを持つ事は当然の事です.その怒りをありがたい事に今の時代では、インターネットを使っていくらでも発信し続ける事は可能です。実際に私はそれを行っています。

社会に対する怒りの結果が、私のようにブログを書きなぐるだけで済むのであればそれはそれで幸せな事かも知れません。しかし、かたや一方でそれらの怒りの到着地点が左翼政党であったり過激派であったりする若者が確実に世の中には存在します。

それは、彼らの生活の糧のために利用されているにも関わらず、「錦の御旗」に心酔していることにほかなりません。

社会に対する怒りを持つ事は正しい事です。しかし、その怒りを特定の者達に利用されてはならないですし、ましてや、その怒りを大義名分として何かの集団に属し彼らに利用されてはならない。

そう、私は心から信じています。

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