葬式仏教と葬儀社に対する著しい疑問、葬儀の根本を見つめるべき時期

By | 2017年10月28日
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「区切りとしての」葬儀の必要性は認めるが

少子高齢化の時代と言われ街には葬式場がかなり目につくようになってきました。これも衰退する国家の典型的な一例と言える光景でしょう。

かたやその一方で幼稚園や保育園では、保育士が足りないと嘆かれる状態です。自分の集票のために老人を優遇し、若者や子供をないがしろにする。そんな、老化した国家の一端の見える光景です。

私はこの葬式場について非常に疑問を持って見ています。

葬式において何百万円も使う行為は全く意味がないように思えてなりません。そんなに葬式をしたいのであれば、近親者だけで済ませば良いことです。

葬式という行為は、それは自分が蓄積してきた財産を第三者に与えることであり、葬式が行われる理由には、特に地方部では、「村八分を避けるため」などの、極めてネガティブな理由がそこにあるのではないでしょうか。自分が死んでまで、そんな悪しき慣習にとらわれる事は非常に悲しい人生です。

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見栄のための葬儀はもうやめませんか

ある意味では日本の葬式とは、自分の人生における見栄の集大成とも言えるイベントなのかもしれません。特にそれが、大企業の役付な人であった場合、彼、彼女の考える「世間様に恥ずかしくない」という名の見栄を貼らざるを得ないのです。

自分の最後ぐらい自分が決めたいものです。しかし今日も、日本はそれらの見栄やシガラミを利用して、坊主や葬式会社は大儲けをしているのです。

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坊主丸儲けの仏教界

仏教の最も根本的な考えとして、現世における欲望を捨て去り輪廻転生の輪から外れる、というのが本来の原始仏教の考え方、つまり、ブッダの教えです。

それにもかかわらず、現在の葬式仏教とは何百万円もの葬式を行い、坊主が読経をとなえ、戒名と称する漢字の羅列に何十万もの金額を請求する、そんな不適切な、まさしく坊主の欲望丸出しの葬儀となっています。

それは本来の仏教の在り方と全く異なるものであり、仏教のあり方そのものを破壊している状態と妻言えるのではないでしょうか。

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人の悲しみを利用する葬儀社を見破れ

また葬儀社の悪質さもよく聞く話です。自分の大切な人が亡くなり、精神的に弱っている状態で、最も「基本的な葬儀プラン」、それは極めて質素で見栄えの悪いものを最初に紹介しておき、それを一定程度見栄えの良いものにしようとすると、何百万もの金額になってしまう、そんな悪質商法じみた商売を行う葬儀社が多数存在すると聞きます。
実際、葬儀社の建物はかなり大きいですし、一体どうやって彼らは儲けているのかとを考えると、そこに人の死を利用している、と罵られたとしても、やむを得ない事情があるのではないかと考えざるを得ません。

キリスト教、神道、無宗教の選択も有る

何も葬儀は仏教だけで行うべきものではありません。キリスト教の葬儀、神道の葬儀そして無神道の葬儀もあります。別に葬儀はどのような形であれ、遺族の悲しみの、「その方が亡くなったことを納得するためのプロセス」としての存在こそが、葬儀であると思うので、別に宗教は何でも良いのではないかと思います。

むしろ、葬儀がこのような劣悪な状況であるからこそ、キリスト教は日本でその信者を増やす絶好の機会と捉えることができるかもしれません。

人が亡くなった後にも記憶は残る

インターネットのブログは、その方が亡くなった後でもずっと残ります。それがその人の思想信条を表したものであり、それこそが生きた証となりうるものです。

インターネット一つは見ても人間の記憶の残り方とはかつてとはかなり状況が異なっています。そのような中で未だに坊主丸儲けの葬儀が執り行われている、葬式会社が丸儲けの状況が続いている、そんな世界をもう少し見直すべき時期に来ているのかもしれません。

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