漫画家になりたい、と思わないほうが幸せである コミック表現の限界について

By | 2016年12月26日

日本ではコミックの文化が非常に独自の発展をしましたが、私が今コミックのプロの作家を目指している方に対して、それで良いのか、問いかけをしたいと思います。

実はこの話題の前提として、私が以前付き合っていた女性がコミックを趣味ではあるのですが、コミケに出店するような感じで書いていて、それを手伝たりしたこともあるので、ある程度内部事情が分かっています。


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作家使い捨ての日本

今の日本で有名な漫画で言うと、ワンピース、幽遊白書などの漫画がありますが、それらのメジャーな漫画家になれるのは本当にごくごく、ひとにぎりの人物です。

その他の多くの作家は、売れなくなればボロ雑巾のように捨てられる、漫画家残酷物語です。

このようなコミックの業界をcool japan などと言って日本の代表文化の一つとして扱っている時点で、もはや欺瞞に満ちた構造であると言わざるを得ません。


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コミックとは作る時間と消費する時間の最も乖離した表現の一つである

これは私の元彼女がコミック書いていたからわかるのですけど、コミックを描くのはすごく時間がかかる事です。

ラフを作って、下描きをして、ペン入れして消しゴムで下描きの鉛筆を消して、そしてマックに取り込んでスクリーントーンを張って…。

ページあたりで最低でも半日ぐらい時間を使っているのじゃないでしょか。それにもかかわらず、読む時は1ページあたりわずか1分もかからずに読めてしまう。しかも、面白くなければ出版社は作家使い捨て。

あらゆる視覚的表現の中でもっとも作る時間と読む時間が乖離した分野ではないでしょうか。

コミックはいくらでも複製が可能である

ウェブ上では違法にも関わらず、コミックはrarファイルのアップロード、コミックのスキャン画像を掲載しているサイトなどが多く見られます。

それによって作家の名前が広がるメリットも完全には否定しませんが、現時点では非常に権利的に弱い立場にコミックの作家は存在している事も確かです。

コミックという表現手段は多くの使い捨ての作家の踏み台の方の上に、にごくごく一握りの有名な作家、もしくは印税で食べていけるような人がいるという状態です。


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コミックを描く者として

もう最初からコミックでプロになろうとは思わずに、いわゆる同人誌作家や、最近の新あり方としてはアフィリエイトのサイトにおけるイラストレーションなど、従来の流通とは全く異なった方法に的を絞っても良いのではないでしょうか。

またアマゾンの電子書籍なども非常に興味深いメディアではあると思います。

どちらにせよ、今後、紙の出版物自体がお先真っ暗な状態だと私は考えているので、週刊誌、月刊誌のコミックの作り方考え方自体がもはや危険な考え方、もしくは先細りの考え方なのではないかと思うわけです。


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最初からプロを目指さない、という幸せな選択

コミックとはいえ、それは油絵や日本画などの、平面手法の表現手法の一部であると私は認識しています。また、それらとは違って、「物語」や「主張」をストレートに表現可能です。

そのため、商業主義に頼らない、1年に数本程度、趣味的な発表などの、あくまでも最初から副業としての、割り切った考え方で最初から事を進めるべきではないかと考えます。

コミックこそ、「自分の好きな分野を商業地域的に利用される」、すなわち「夢」を人参とぶら下げ、馬車馬のようにこき使う、そんな業界の最たるもののうちの一つではないのでしょうか。

コミックを書くという行為は、趣味として張り切ってドライに考えると言う必要があるのかもしれません。何も自分の好きなことをして苦労の生活をする必要はありません。

他に本業があって、それで食べるのであればコミックとは表現として自分の好きなように書く方法も、それはそれで私は幸せなのではないでしょうか。


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