共産主義は宗教の一種である、「神のない宗教」としての共産主義の決定的な誤り

By | 2017年3月29日

「神を否定する宗教」としての共産主義

言うまでもなく共産主義とは唯物論に基づく人間社会をシステムとして考えた経済的思想と言えるのですが、しかし、共産主義の根底にある唯物論とは、神を否定する宗教の一つではないかと私は考えてしまいます。

特に日本のような八百万の神の考え方のもとにおいては、至る所に神は偏在する、すなちい、無限の存在とゼロの存在の考え方は、一見矛盾しているように見えて、極めて近似がある者と思ってしまいます。

ただ、その八百万の神を信奉する日本において経済的衰退は明らかですし、言うまでもなく共産主義の衰退も誰の目にも明らかです。それは皮肉な近似性と言えるかも知れません。無論、だからといって、私は一神教の宗教を信仰している事は絶対にありませんが。

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左翼は浅間山荘に、宗教は人民寺院となる

神ない宗教としての共産主義の到達点は「あさま山荘事件」であると思いますし、そして一神教を崇拝する宗教の最終的な到達点は「人民寺院」であると考えます。

つまり、ある一つの物事の考え方に自分の人生が乗っ取られてしまうと非常に好ましくない状態に自分が陥ってしまう、それはどちらの考え方においても共通している事ではないでしょうか。

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欲望こそが世界を回す

共産主義の絶対的な誤りの一つとして、人々が欲望を抱かない、もしくはコントロールが可能である、との前提に立っている事が最大の誤りです。

平等の考え方は、これは一見、美しいように思わせ、実は非常に醜悪な考え方です。

人間は欲望があるがゆえに自分の生命を維持し、そして科学技術を発展させ、今の社会が作られてきました。旧ソ連を見るまでもなく、共産主義にの社会において、人々が利用する自動車や電機製品は停滞し、そこに科学技術の進歩はありません。それはすなわち通常の生活一つを見ても共産主義の限界は明らかである事だ導き出されます。

ただ、それらを共産主義を「神の無い宗教」として捉えている人からすれば、すべての人々が平等であれば科学技術の進歩など不要なのかも知れませんが。

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人生を楽しむための思想はホドホドに

別に宗教などは、「余暇」として愉しめばいいのではないでしょうか。それは共産主義などの思想も含めて、です。

それに人生を費やすとロクな事になりません。カルト宗教や左翼活動家の人々は幸福感に溢れているのかも知れませんが、それは特定のイデオロギーに依拠し、すなわち自分の人生を誰かに売り渡したに他なりません。その代償として、「自分で考える必要」を要しなくなった人生なのですから。

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