高レベル放射性廃棄物最終処分場は人間の「愚かさ」の象徴とすべきだ

By | 2017年7月31日

人間の扱いを超えたエネルギーとしての原子力

高レベル放射性廃棄物の最終処分を保管するのに10万年もしくは1万年の保管、とありますこれは一万年としたところで、有史以前、つまり人間が猿の様な生活をしていた時代から現在までの長さを、放射性廃棄物の管理、保管をするとすることなど到底無理な事なのですから。

そもそも人間が10万年管理しようとすること自体がおこがましい。結局、原子力の領域とは人間が神の領域に踏み込んでしまった行為として、未来の人々は認識するのかもしれません。そしてその放射性廃棄物の管理を延々と未来の人間に押し付ける、そんな負の究極の遺産とも言えることができます。

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一万年先の不確定さ

1万年後の人々に高レベル放射性廃棄物の最終処分場の危険性を伝える方法について、その方法はいまだ全く定まっていません。例え今我々が危険だ、もしくはドクロマークなどを書いたとしても、それは1万年後にその印刷や、その構造物が残っているという可能性は極めて低いでしょうし、もちろん言うまでもなく紙媒体や電子データなどは絶対に残っていないでしょう。

それどころか、人間がそもそも1万年後に存在するのか、とのそ疑問があります。それはある日突然、ウイルスの蔓延などにより一気に人類は滅びるという可能性もあるでしょう。また、別の惑星から侵略者が入ってくる可能性もゼロではありません。また、それ以前に人間が人間同士で殺し合い、文明の完全なる破壊という最悪のパターンもあるかもしれません。

そのような、何が起こりうるかわからない1万年後の未来に対し、我々はメッセージを届けることなどできません。科学者たちはメッセージを届ける、と称しますが、それはただ単に、現時点でのアリバイの行為にすぎないことです。一つ確実に伝えることができるのは、未来に対し、とてつもなく厄介な負の遺産を押し付ける、それだけです。

原子力について、そのエネルギーが平和的に利用されたのは、わずか5、60年と考えることができます。そのわずかな機関の繁栄のためだけ、に一万年以上もの管理が必要な高レベル放射性廃棄物を出してしまう。それは、常識的に考えて、原子力とは、もはや人間の扱うことのできないエネルギーを考える方が自然なのではないでしょうか。

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最終処分地の幸せな建設方法

最終処分地について国内でのをその場所の選定というものが始まっていますが私は別にこれは過疎地であればどこでも良いと思うのです。

むしろ放射性廃棄物の最終処分場は、人間の愚かさの象徴として、全ての人間が知るべき存在として観光地化されても良いかもしれません。

人間の愚かなる振る舞いの最後の結末として、知らしめるための施設、という意味あいです。

そのような処分施設は、過疎地であれば、どこに作ってもいいと本当に思っています。

それだけの巨大な国家的プロジェクトの施設を作るので、その地域に住んでいる者たちが嫌がるのであれば、

「お金は払いますので、どこでも好きな場所に移住してください」

とした方が、誰にとっても、よほど幸せな解決になるのではないでしょうか。

そもそもが「人間の愚かさの象徴」たる高レベル放射性廃棄物の最終処理施設に、住民に理解を求めること自体が不可能でしょうし、そうであるならば、「愚かさ」の最終的な発露として強制的に作ったほうが、よほど、誰もが納得できるでしょう。

現在の日本では消滅しそうな町村など山のようにあるのですから、変に「ご意見」を聞かず、強制的に作ってしまう方が、誰にとっても幸せな結末になるはずです。

とはいえ、「負の遺産」として観光地化し、それらの町村が繁栄する可能性もゼロではないでしょうけれど。

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