オリンピックマーク作成の佐野研二郎「パクリ」問題と日本社会およびデザイン的視野での考察

By | 2016年9月1日

オリンピックマーク、あれを似ていない、という時点でおかしい

自称、「デザイナー」が、オリンピックマークデザインを必死に理屈こいて擁護している姿は、余程の利権構造と権威構造がある以外に理解できませんね。大衆が似ている、と思う時点でデザイナーとして失格です。また、その制作プロセス、特に手書きでのラフスケッチが公開されていない時点でおかしいし、彼は何を言っても結局最後まで言い訳でしかありませんでした。

なぜきちんと背後関係を調べることができないのか

佐野研二郎はトヨタの広告をしているから、とか、公的に罰すると、オリンピックそのものの開催が危ぶまれた、ということでしょうか。デザインの世界って、極度の権威主義であるため、上の者を批判するということが、自分の仕事にとって不利益をもたらすから、誰もがだんまりを決め込む。特に今回は大手広告代理店の電通と博報堂が絡んでいるから、なおさら。そういう意味では佐野氏は、トカゲの尻尾切りであり、デザイン界を始めとして、JOCなどの自浄作用の欠落、それを傍観する政治と行政という本質が明らかになります。

パクリ疑惑をネットへの責任転嫁とするお粗末な反論

ネット民のルサンチマンとか、炎上とか、そういった文脈で問題をそらそうとしている輩がいますが、彼らは絶対に佐野研二郎の過去のパクリ作品の引用については言及しないのですよね。ひたすらデザインの「構成要素が違う」と、訳の分からない理論を金科玉条のごとく振り回しているだけです。
ちなみに、構成要素が違う、というのも詭弁です。あんなものは、デザインソフトのイラストレーターがあれば、ほんの数クリック程度で変更できます。いかに彼らが問題の本質をそらそうとしているか明白。

この件で佐野研二郎を擁護したデザイナーは絶対に記憶されるべきだ

佐野研二郎を擁護したデザイナーが今後登用されるということは、何ら自浄作用を示していない、恥ずかしいニッポンそのものといえます。
もう、何をとってもすごく日本的。誰も責任を取らない、コネとカネがすべて。技術的にも、背景的にもすべてお粗末の極み、という現在のニッポンをさらけ出した象徴的事件といえるでしょう。次に、デザインテクニックから佐野研二郎オリンピックマークの問題を考察します。

デザインテクニックから検証する佐野研二郎2020オリンピックロ

ゴデザインへの根本的疑問、佐野研二郎のオリンピックマークデザインにはベジェ曲線がない

イラストレーターなどのデザインソフトにおいて、ベジェ曲線という概念があって、一言で言ってしまえば美しい曲線を描ける機能なのなのですが、それが佐野デザインには全く存在しない。曲線はありますが、あれはイラストレーターなどで「円形」から分割して作ることが可能です。もちろん、こちらの作り方にテクニックはほとんど必要ありません。
これまでの歴代オリンピックマークを見ていてもほぼベジェ曲線によって構成されているのですよね。

佐野はオリンピックマークのラフスケッチ書いたのか?

幾何学的デザイン、と言ってしまえばそれだけですが、氏の過去のデザインを見ていると、そもそも論でベジェ曲線を使ったデザインが少ない。まるで、ラフスケッチを全く書かずに、イラストレーター上だけで作ったかのようなデザインが極めて多いのですが。

佐野研二郎の擁護派はきちんと説明せよ

擁護派はベルギーの劇場のデザインと比べてデザインの分割比がどうのこうのと言っていますが、完全なる後付でしょう。外形と円の対比を変更することは、デザインソフト「イラストレーター」上では数秒で変更可能です。特に何人かが関わってそれを作った場合、当然、後付の「オリジナル」要素として、そういった要素を付け足した、ということは容易に想像できますよね。「分割比が違う」という、安易な後付です。
擁護派としては、「構成要素比率などの厳密なデザイン議論」のみに終始して、氏のこれまでのパクリについて全く答えようとしない。もうその時点で負けでしょう。まあ、この件については、ずっとダンマリで、嵐がすぎるのを待ちたいのでしょうね。

ひたすら沈黙を決め込むデザイン屋たち

本来、あのデザインをデザイン界は徹底的に糾弾しなければなりませんでした。それができない理由は、審査員のメンバーや、佐野氏がそれまでに持っていたネームバリューなど、(一例で言えばトヨタの広告をした、というのはデザイナーから見れば、それだけで「凄い」ことなので。)「権威」に楯突くことが怖いからですね。
擁護するなら擁護するで、ウェブに書けば良い物を、自分が批判の矢面に立ちたくないから、デザイナーたちは無言を決め込んでいるわけです。

コネの前にはおかしな現実がまかり通るデザイン業界

所詮、「デザインコンペ」などと言っても、横のつながり、コネで決まるわけです。「優秀なデザイナー」は美大にいる間から教授に必死に胡麻をするわけです。なんちゃらアーティストとか、ただのコネの産物ですから。本当に。
ちなみに、私の勤める会社のデザイン部署では、もう佐野氏のことなどボロクソです。このブログでは書けないレベルの罵詈雑言の嵐、とだけ書いておきましょう。(私もデザイナーではないので好き勝手書く)それを言えるのは私の務めている会社はあくまでの地方中小、それも代理店などとはほぼ、全く取引のない所だから、そういった率直な雰囲気があるわけです。
なぜ、こういった単純なことをデザイナーは指摘しないのでしょう?
広告代理店の顔色伺ってるのですかね?「デザイナー」にとって、広告代理店は自分の死活問題を決定しうるものであり、その広告代理店様に楯突くなんて、と思っているのでしょうね。ああ、恥ずかしい。
もう、オリンピック自体、やめませんかね。次に、佐野研二郎を引きずり下ろしたネットと、佐野研二郎のその後を考察します。

オリンピックマークが取り下げになりましたが、これはネットの勝利、では無い。

デザイナー佐野氏の親族が官僚ならば、随意契約という形で、省庁の取引企業から仕事を与えることは十分に可能です。もしくはそれが直接すぎるのであれば、取引企業の下請けにでも仕事を投げさせればいいだけです。
損害賠償をされたとしても、第三者名義の会社を作って、そこの「従業員」という形になり、給料という形で振り込ませ、それを手渡しという形にすればいいし、マンションも第三者名義にして、その人物から借りている、ということにすればいい。ただ、これは国も絡んだ究極のぐだぐだ劇で、「訴訟をしない」ことがデザイン取り下げの前提条件としてあった、と見るのが自然ですね。

矛盾を説明しないままの逃亡をネットは追求すべきだ

確かにネットは氏のオリンピックマークを撤回させました。その集合知としての力は大きいです。しかし、現時点では佐野氏個人の、ごく一部の業務を停止させたに過ぎず、本来、なぜこのような人物の作品がオリンピックのマークとして選ばれたのか、(他に104点もの応募のあるコンペにもかかわらず。)、そもそもなぜこのような人物がデザイン界に大手を振って歩いていたのか、という文化の根本そのものに対して疑念を抱き、そこにある問題を論じねばならないでしょう。これはオリンピックマーク、デザイン界、という狭い分野の問題ではなく、日本文化そのものの問題です。 佐野氏をトカゲのしっぽ切りとしてはなりません。問題の根本は全く明かされてません。佐野は今頃ほくそ笑んでいることでしょう。

次に、廃案となったオリンピックマークの有効な再活用方法を考えてみます。

佐野研二郎デザインの廃案オリンピックマークの有効な活用方法 恥の象徴としての佐野研二郎オリンピックマーク

JOCは佐野氏の個人責任になすりつけ、その選考過程、選考背景を全く明らかにせずに、トカゲの尻尾切りで終わらせたいのでしょうけれど、このオリンピックのマークは日本のとんでもない暗部を象徴するマークなのですから、大切に使えばいいのですよ。「恥」の象徴として。
そんな意味で、反対派がオリンピック閉幕まで佐野氏のオリンピックマークデザインを使ってゆけばいいと思いますよ。延々と。「商業利用」ではないのですから、JOCがどうのこうの口をはさむ問題ではない。全て自分たちの欲の皮による自業自得。その恥さらしを世界全国に広めてゆけばいい。この国は外圧がなければ何一つ変わらない。
佐野氏本人も「パクリではない」主張しているのですから、開催までたとえ反対派であったとしても、自分のデザインが使われることは本望でしょう。まあ、オリンピックが開催されるまで佐野氏がデザイン業界にいるとは到底思えませんが。

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