なぜ、学校行事は行われるのか。修学旅行、運動会などの学校行政の本音

By | 2017年4月2日
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なぜ学校は行事を行いたがるのか

一番わかりやすい例として修学旅行があります。これは教員が旅行業者からリベートを受け取るため、と考えると非常にわかりやすい例です。毎年、使うバス、毎年行く旅館が決まっている、毎年使う旅行業者が決まっている、これは両者の癒着を疑うにはもう十分です。

なぜ毎年業者が変わらないのでしょうね?

修学旅行は教員にとってのボーナス

私は修学旅行は全然楽しいものだとは思いません。そんな事をするのであれば、自分一人でどこかに旅行に行き、そしてゆっくりとした時間を過ごしたい、とさえ当時から思っていました。

貧困問題などで修学旅行に行く事ができない、などの問題が取り上げられる事がありますが、そもそも修学旅行とは必要な行事なのでしょうか。むしろ勉学のために旅行をするのであれば、中学生以上であれば青春18きっぷを持たせ、自分の好きな場所に行かせる、しかも、必要最低限の金額で、などのような旅行をさせるほうが、社会の醜さを経験させる意味で、よほど意義があるような気が私はします。

旅行業者からのリベート、それは商品券だなどで「現金の授受ではない」とごまかすのでしょうが、それらのリベートは教員が変わったとしても毎年引き継がれるのでしょう。

修学旅行は毎年、大量の生徒がホテル、その土産物屋を使うのですから、非常に大きな利権である事は簡単に理解できる事です。

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軍隊的行動の発露としての運動会

もうひとつ、わかりやすい例が運動会です。

これは日本の軍隊式行動、つまり、集団行動を無理やり身につけさせるための行事です。小学校1年から高校3年生まで12回もある、本当にくだらない行事です。今のご時世において集団行動の訓練とは、一体何がしたいのでしょう。

もう、今は昔のベルトコンベアでの製造業のような時代ではないですから。

運動会は現在の教育の劣化の非常にわかりやすい一例でしょう。運動会の一体何が生産的な行為なのでしょうか?

走ったり飛んだり、確かにそれをプロスポーツを行いたい者はそのような事を頑張ればいいと思います。しかし、そうでもない者を強制的に巻き込み、応援団やプラカードなど、もはや、それは共産主義の全体国家を思わせるような光景でさえある。

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もう学校行事そのものが不要です

学校など、勉強さえしてれば良い場所ではないでしょうか。

それを特定の思想にもとづき、特定の行動様式に生徒を染め上げようとするのはアナクロニズムも甚だしいところです。

そもそも教員自体が、閉じられた世界でしか生きられない生物のですから。彼らそのものがアナクロニズムに生きる生物であり、そこに閉じ込められる、危険な空間と認識したほうが早いかもしれません。

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