没落、劣化する日本での生き方、社会をどのように生きるのか、社会と自分の価値観

By | 2017年5月3日
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日本社会の成長は終わった

日本社会には、もう今後没落しか基本的には存在しない者、と私は考えています。

その没落の具体例としては以下のような状況になるであろうと考えています。

  • 拡大する格差
  • 増える外国人労働者
  • 徴兵制の導入
  • 日本国の経済破綻
  • 第三国による事実上の統治

これらが、今後10年、もしくは20年程度をかけて行われるのではないかと考えています。

では、そのような絶望に向かう日本に対して、どのように我々生きていけばいいのでしょうか。


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社会に対する個人としての自覚を持つ、一人で生きる覚悟

重要な事は、自分一人でも生きていく生活スキルを手に入れる事、ではないでしょうか。

今の価値観とは、集団主義に基づく価値観があり、そしてその集団主義の延長として家族もしくはカップルを賛美するという商品の消費を賛美するモデルが成り立っています。

いずれ、近い将来、集団主義の考え方は、情報弱者しか染まる事のない考えとなるのではないでしょうか。

つまり今、のような社会システムを維持できなくなる時期が今はもはや始まっていると考えても問題ないでしょう。

そのような場合、これまでの集団主義、もしくは事なかれ主義とは、つまりそれは為政者にとってより露骨な駒としての扱いを受けるという事に他なりません。

経済的な面、そして自分の人生における計画など、それらは全て自分の自己責任という側面が現在よりもさらに強くなってくるものと考えます。

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生きるためのスキルとは

それらの対策としては英語学習なども必要でしょうし、また、自分で考えて行動をする、そして生活を必要以上に大きくしないなどの対策が必要でしょう。

これまで賛美されてきた大量消費、もしくはローンを組む事による高額商品の購入のため借金、それらによって、がんじがらめにされると、生活の小回りが利かなく恐れがあります。

今後の不安定な社会情勢において、小回りの利かない人生とは、極めて危険な状態ではないでしょうか。

消費が美徳である、もしくは消費を行わなければ国内経済が循環しないなどの議論は一定程度は理解はできるものはあります

しかし、それはこれまでの経済モデルを維持するという前提であり、今後、衰退する日本において、それらの経済モデルが本当に正しいのか、そもそも論での問題の根底を考える必要があるのではないでしょうか。

これらのモデルにとらわれないために、まず自分の生活の基準を確立する、そして自分は一人でも楽しむ事ができるそのような生活形態を作るのが重要ではないでしょうか。

別の誰かと比べなくても自分が楽しいと思える生活をできるのであれば、それはそれで幸せな人生だと私は考えています。

むしろ、孤独に耐えられないがゆえに無駄な消費をしている事は事実でしょう。

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人生の基本単位としての自分、その生き方

人生における単位とは、個人、孤独です。

日本社会者は放置しておけば自然に集団主義に回帰します。それは3.11における「食べて応援」などという狂気のフレーズを見てもわかるとおり、日本人は何か問題が起こると、もしくは社会的な大規模な困難が起こると、それを集団責任とし、その責任を曖昧化しようとする、もしくは精神的に誰かを頼ろうとする、のような傾向がある事をまず十二分に理解すべきです。

その上で、今後、社会状況が変われば、そのような集団主義自体が悪しき方向にしか使われないであろう事を十二分に理解し、一人でも生きていくという事を今後の人生の考え方の根底に据えるべきではないでしょうか。

自分が生きる上で、何が必要かをまずよく考えるべきではないでしょうか。

自分が自分の人生において何を最優先としたいのか、を考えると人生が楽しくなるかもしれません。

その考え方で何がしたいかわからないのであれば、「自分が余命1年である」と考えると中期的、短期的に、自分が何をすべきか、何をしたいのか、という事が見出しやすくなるのかもしれません。

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