衰退する社会を楽しむ者達、邪悪なエンターテイメントとしての社会の未来

By | 2017年5月9日
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「持たざる者」が社会をペシミスティックなエンターテイメントを希望する

私はこのブログで何度も書いているとおり、現在の少子化とは、それは派遣労働などが増えた事によって、家庭を持ちたくとも持てない、また、子供を持ちたくても持てない、そのような人物が増えた結果としての少子化につながっていると考えています。

つまり、彼らは結婚もしない、子供を持てない状態であり、このまま彼らが老人世代になれば、「失うものが何もない」世代を大量に生み出す事になります。

失うものが何もない状態は、これ以上強い事はありません。

なぜならば、老人になり食べて行くのも困難になった時、犯罪を起こせば刑務所に入り、少なくとも三食温かいご飯が食べられる、これは彼らには、とてつもない誘惑となるでしょう。

また、今ある犯罪の抑止力とは、親兄弟などの親族に対し、自分が犯罪を行ったことに対する社会的制裁が与えられる事を恐れるがために、犯罪を思いとどまる効果もあるでしょう。

それらが、今後、「持たない者」の高齢化により、その抑止力が失われることを意味します。

失うものが全くない、それすなわち、犯罪の抑止力が社会として全くなくなる事です。


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自らが存続しない事を前提とするならば、社会の衰退はエンターテイメントになる

つまり老人になった彼らからすれば、この日本社会がどうなろうと知った事ではない、という状況なります。

また、老人にならずとも、子供を持つ事のできない年齢になった場合、そのような退廃的な社会が蔓延する可能性が出てくるのではないでしょうか。

それは、今まで日本社会が経験したことのない、危機的な社会状況になるのではないでしょうか。

そのような場合に、これまでの「正義」のあり方が根底から覆される可能性があります。

つまり社会の存続を前提としない、非常に刹那的な価値観が世の中にはびこるのではないでしょうか。

それは極論として書くならば、日本が戦争に巻き込まれるような状態になった場合、持たざる者からすれば、戦争は邪悪なエンターテイメントにすぎません。

また、自分が社会で必要とされている社会的満足感、もしくは社会的な存在感の確かさが無い状態において、彼らは、むしろ戦争における非日常を邪悪なエンターテイメントとして楽しむ可能性すら出てくるでしょう。

その場合、戦争に駆り出されるのは、自分達ではなく、いわゆる現時点で「勝ち組」と呼ばれる中産階級の者達の子供達が成人になった者ですから、彼らが戦争で死亡しようが、障害者になろうが、それは「持たざる者」からすれば邪悪なエンターテイメントにすぎません。


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社会は、悪化する

そのような厭世感に満ち満ちた価値観を生み出したのは、全て為政者の責任です。

それは小泉構造改革などと、お題目をつけた派遣労働のあらゆる職種への自由化、そして、劣悪な労働環境を見て見ぬふりをしてきた行政、立法、そして、有権者の責任です。

それらのツケとして、社会のモラルの崩壊へ非常に大きな問題を現在進行形で生み出そうとしているのです。

日本は官僚主義に代表されるように、役人や政治家は自分達の任期期間さえ乗り切れば、後はどうなると野となれ山となれ、そして、役人はどんな事があっても退職金を受け取り、天下りをする、そんな無責任極まりない状況です。

つまり日本社会は、この数十年間、何もしてこなかった無為無策のツケを、とてつもない巨大な問題として抱えている事になります。

もはや、その問題の解決にあたる時間はごくわずかの時間しか残されていません。

とはいえ、この社会は何らの具体的な対策を行う事はないでしょう。そして、日本はそう遠くない将来、邪悪なエンターテイメントを待望する者達で満ち溢れるのでしょう。

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