政治のという「ごっこ遊び」の本質について

By | 2023年9月27日

政治家は、社会を良くするための方法であり、国民の意見を反映させるための議会の運営方法である、なる話は、まったくの欺瞞であると私は考えています。

結局のところ、政治とは、現在権力を持っている者たちにとって、都合の良い社会システムを継続させていくための方法であり、国民の声を聞きましたよ、そしてそれを取り入れましたよ、という「ごっこ遊び」に過ぎません。

政治家が、特に与党の政治家が、どんなことをやっても、よほどの物的な証拠や明らかな動画的証拠などがない限りは逮捕されませんし、カルト宗教団体が絡んでいて、洗脳された信者たちが与党政治家の当選を手助けしているとしてもです。

与党は、簡単に言ってしまえば、金と権力を得続けるために、ありとあらゆる法律を自分たちの都合の良いように解釈し、もしくは必要であれば作り出します。自分たちの権力は何が何でも持続させたいのです。

そこに野党を標榜しながら、与党に取り入りたいがために権力側にすり寄る、そんな自称「野党」もいます。現在でもそのような政党は複数存在しているのではないでしょうか。しかし、それらを名指しすると、裁判だ、何だ、薄汚い手段をちらつかせるので、名指しこそしませんが。

しかし、これは与党・野党の両方が同じではないでしょうか。

確かに地方議会の市民系候補は、本当に草の根からの運動で当選したことは否定しませんが、地方議会には保守系が絶対的な安定的勢力を持っており、実質的には何の議決権の行使もできず、単なるガス抜きとして使われているに過ぎないでしょう。

国会における野党とは、それは労働組合等の基盤を持つものであり、自らの国会議員としての権利を守っているのではないでしょうか。また、自分たちの国会議員としての存在自体が目的になっているような状態ではないでしょうか。
かつては労働組合が全国で強かったのですが、今となっては不安定雇用の前に正社員自体が減少し、労働組合の存在自体が少なくなり、野党は自らの国会議員であること、それそのもの権利を守ることに汲々としている。そんな時代ではないでしょうか。

そもそも政治に期待するというのは、もはや時代錯誤と言えるのかもしれません。
どのようにしてもこの国は少子高齢化という流れはあと数十年スパンで止めることは絶対にできないでしょうし、国家としての国際的地位は今後も下落傾向が続き、「かつては繁栄していた」という誇りだけを胸に日々生きていくような国になるのかもしれません。

そこで自らの権利を守ることに専念する政治家たちは、単なる寄生虫に過ぎません。

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