
ブログの自己紹介を疑わしいものとして見る
他人のブログ読んでいて、自己紹介ページを何千文字にもわたって書いているブログがあるのですが、そんなに人様に顕示するような人生をしているのですね、と感心してしまいます。
しかも、その記事を読んで行くと大体大針小棒大の自画自賛ばかり、もしくは概ね誰にでも経験しているような体験の紹介ばかりだったりします。
ブログにおいて記事を書くことは、自分の持っている知識もしくは経験を、それをさも特別なことであるかのように書かねばならないので、自己紹介記事は自己満足に満ち満ちたものになってしまうのは、やむを得ないのかもしれません。
また、それは自己愛の告白に過ぎない文章とも呼べるでしょう。
自己紹介ページで自画自賛をしている者のその多くは、社会人としての実績は大した者ではないことが多いような気がします。
匿名であるが故の強み
私のブログは匿名ブログです。匿名であるからこそ言いたい事が言える、書きたいことが書ける、そのため、私は自分の住んでいる場所も、働いている業種も、そして無論、名前も絶対に明かすつもりはありません。
ブログを書く者は誰しも無意識に様々な自分の特徴のヒントを記事に埋め込んでしまっています。それを自己紹介ページは、それらの埋め込んだヒントを立体化するための切り札に使われる事が多々あるのではないでしょうか。
むしろ逆にウェブ上で実名顔出しを行うのは、「そうせざるをえない」理由があるのでは? とさえ考えてしまいます。
少なくともある時期までは、実名顔出しを行うことによって信用を得やすかったのですから。
ただ、現在では実名顔出しはそのリスクを考えると、何らかの「意図があって」行っているのでは、と考えるべきかも知れません。
自画自賛ページを見ればそのブログの真の意図がよくわかる
なぜ詐欺師が大きな車に乗り、服装に金をかけるのか、「カネを持っている」と喧伝するのか、それとブログ自己紹介ページにやたらと自慢と自己満足の長文のテキストを掲載することに何らかの関連を思わずにはいられません。
ブログの自己紹介ページを読むことで、そのブログの信頼性を判断することができるので、記事ページ以上に面白いページと言えるでしょう。
また、別の見方としてはブログの自己紹介という名の自画自賛ページは、普段の生活が満たされていない事の裏返しかもしれません。実生活での承認欲求がウェブという「何を書いても良いメディア」での「表現」に現れるのでしょうね。
また、それは表現の自由に裏付けされた自己愛の表現に他ならないように見えてなりません。
ほんの少しだけ自己紹介
西日本のある都市部で技術系の仕事をしています。業種は書くつもりはありません。性別も書くつもりはありません。勝手に想像して楽しんでください。
主張としてはリベラル系の主張をしていますが、特定の主義主張、党派などを支持するつもりはありません。無論、言うまでもなく共産主義や社会主義には絶対反対の立場です。
ブログは読みたければ、読めばいいのです。別に、私から読んで下さい、と言うつもりはないですし、読まないでください、とも言うつもりはありません。それがウェブの世界ですから。
あと、検索で来られた方、こんにちは。
仕事で得た情報でブログを書こうと思えばいくらでも書けますが、そんなことはしません。ブロガー達に言うと大いに垂涎されうる取引先もあるのかもしれません。しかし、それらを守秘するがゆえに、会社員として勤めているわけですし、それを守れない者は社会もしくは企業から淘汰されていくだけです。
何でもペラペラと秘密を暴露してしまうような人にとってブログとは無意識の内にデジタルタトゥーと秘密の暴露の量産を行っている事に他なりません。
ブログはあくまでも自分の意見と主張、あと、望むべくは若干のお小遣いでも入ってくればいいかなと思ってます。
警鐘と現象 管理人
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