
少子高齢化は社会を滅ぼす
少子高齢化問題について、「少子高齢化問題に取り組まない事による利権」ではないか、とは最近私は考えを改めています。
つまり、少子高齢化対策を行わない事によって、現在の既得権益を守る事ができる、それが、少子高齢化問題の根底にある問題なのではないか、と考えます。
少子高齢化への無為無策で得をする者
社会において少子高齢化の問題は待ったなし、になっています。
少子高齢化は全体的の国克力を低下させさせ、労働力人口不足などの国の経済そのものパイの大きさが縮小してゆく状況に陥っています。
しかし、それにもかかわらず実効的な少子化対策を行おうとはしません。
この理由とは、権力側の達もしくは、権力側の利権を持っている者達が、それらを手放さないために、「あえて」少子高齢化対策を行わない選択を行っているのではないのでしょうか。
つまり、「不作為の選択」を行っているのではないかと考えざるを得ません。
なぜならば、少子高齢化対策とは決して今に始まった事ではなく、10年前、20年前からこの問題が生じている事が分かっていた筈です。
それにも関わらず、それを何もしなかった者達が確実に存在します。では何もしなかった者とは一体誰なのでしょうか。
それは現在における政権担当者に他なりません。
つまり、為政者たちは20年前からこの問題が生じている事を知っていたにも関わらず、その問題に対して対処するどころか、2000年における「構造改革」などと称する派遣労働の原則解禁を行う事によって、若者がまともな仕事に就く事も、恋愛をする事も、結婚をする事も、もちろん、子供を持つ事もできない状態に叩き落としました。
それらの結果として少子高齢化が進行する事は誰の目にも見えていた事です。
しかし、現在でも派遣法に対する規制は何らありません。
逆に現在では、それらの法律の結果としての少子高齢化の進行によって、逆に労働力人口が不足してしまう状態になり、求人倍率は改善される状態の、実に皮肉な状態に陥っています。
決して現在の「求人倍率を見た好景気」は為政者による政策の「良い」結果ではありません。それは少子高齢化の政策の究極の失敗の副作用としての求人倍率の「好転」にすぎません。
それどころか、昨今、合法化された、されようとしてる高度プロフェッショナル制度では、働くものを労働基準法の適用外とさせ、いくらでも働かせ放題、ともなりかねない、時代に逆行するような政策を実行しようとさえしています。
おそらく、これらの法案に賛成した者たちには全く現在の社会に対する危機感が存在しないのでしょう。
彼らの多くは、自分の政治的立ち位置を「保守」などと自称します。
しかし、この国が少子高齢化という場合の縮小により、社会そのものの活力が失われているにもかかわらず、未だにそのようなアナクロニズム的な政策を行おうとする者達には「保守」として自らの社会を「保守」するどころか、政治家としての自覚がないのではないか、と疑わざるを得ません。
集団責任は無責任。
現在の少子高齢化について真剣に、その問題を論じるのであれば、では、一体なぜ10年前、20年前にその問題を解決しようとしなかったのか。
そんな、責任論が生ずるは確実です。
その際に、現在の為政者の、その多くは二世議員、三世議員、または長期在籍の「職業的議員」であり、それは自分、もしくは七光としての親や祖父の責任追及をされる恐怖が彼らの根底にあるのでしょう。
そのため、現在の付け焼き刃的な「少子高齢化対策をしている、との主張」もしくは、実効性のないポーズとしての政策に終始せざるを得ないのではないでしょうか。
今できる事は山のようにある
今から少子高齢化対策を行うと思えば、手段はいくらでもあります。
それはまず、若者が子供を産めば子供が二十歳になるまで、もしくは大学を卒業する22歳になるまでは、「いかなる事態が生じても社会が子供の面倒を見る」事を国民に確約する事です。
また、派遣労働などを強いられた「失われた世代」には、公務員に「ノルマ」として結婚、出産の促進を促す。
そのための財源はどこにあるのか? と多くの人は言うでしょう。
その財源は公務員や政治家の給料を削減し、あてれば良いのです。
公務員会は政治家は国民があってこそ、初めて成り立つ職業です。
その国民の存在する基盤、つまり、社会が少子高齢化によって崩壊しようとしているにもかかわらず自分達の給料だけは、何が何でも「保守」しようとする。
それ自体が政治家としての資質に欠ける、または「公に僕する」つまり、パブリック・サーバントとしての自覚に欠ける行動ではないでしょうか。
為政者や公務員が自分の給与や生活を「保守」するために、この国の少子化がどうなっても見て見ぬふりをする、それこそが「少子化を行わない根底的な理由」ではないでしょうか?
野となれ山となれの政治家たち
現在の政権担当者からすれば、少子高齢化、人口減少になり労働力人口が不足しても、外国人労働者を導入すれば良い、とでも考えているのでしょう。
それは現実的に、現在の社会における「技能実習生」なる名目のもとに外国人労働者が増加している事実から容易に推測が可能です。
もちろん、私は外国人労働者に対して差別的な意見はありません。しかし、最終的には外国人労働者に一定の業務を任せざるを得ないとしても、しかし、それ以前にまず自分の国内で最大限の努力を行うべきです。
外国人労働者を日本に導入する事は、日本国内における低賃金、また、非常に過酷な労働環境を外国人に押し付ける事に他ならず、それは日本という国を貶める行為にほかならないのではないか、とさえ考えます。
なぜそのような重大な社会問題に自称「保守」の者達は疑問を抱かないのか? それを国民はよく考えるべきです。
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