就職氷河期と京アニ事件
京都アニメーション事件で被害に遭われた方に、心からお見舞いを申し上げます。
今回の事件について、世間では、それがあたかも特殊な嗜好を持った犯人による犯行である、との伝え方がされ方になされていますが、それは本質的に誤ったものであると考えています。
今回の犯人は年齢は41歳との事で、就職氷河期世代真っ只中の存在であると考える事ができます。
就職氷河期世代とは本来、家庭を持ち、恋愛をし、子供を作る、などの責任あるカタチで社会に参加して行くべき年代でした。しかし、実際はその年令の者たちは、製造業への派遣労働の解禁などにより、企業にとって使い勝手の良い使い方をされた挙句、人生を破壊されてきた年代となります。
もちろん、この犯人が、たまたま、その年代に該当するだけである可能性は否定できません。また、もしかすると、本当に精神的に何か医療機関にかかるべきである状態であったのかも知れません。
私は、このブログで、いわゆる、まとめサイトのブログのような犯人のプライバシーを書き立てるような記事を掲載するつもりは一切ありません。
この記事の主張としては、今回の実証が今後、の日本の暗雲立ち込める未来の死兆星のような存在になりうるのではないか、との危惧を書きます。
今回の事件が表す不都合な事実
今回の事件で明らかになった事とは、人生に絶望した者が立ち上がった時、一人であっても何十人者人を巻き添えにする事ができる、極めて恐るべき事実である事でしょう。
これまで大量殺人などと言えば宅間守被告などのように、幼き者に対し自分が刃物などで実力行使をする事件が主たる事件であったにあったにも関わらず、今回、ガソリンを大量にばら撒き、そこに着火する事によって爆発物としてガソリンを用いる行為は日本では初の事件ではないでしょうか。
追記
この事件の後、ガソリンを携行缶で買うためには本人確認、記録の整備が求められるようになりましたが、「悲壮な覚悟」を持つ人物にとって、それらの確認、記録行為が何ら障壁になるとは考えられません。人間、覚悟を決めれば逆に落ち着きさえし、目的を達成しようとするのですから。
ちなみにガソリンの危険性とは今に始まった事ではなく、70年代安保闘争における一部の極左過激派の者たちが火炎瓶をガソリンで作り、機動隊に対し用い、非常に大きな脅威を与えていました、
火炎瓶とはガラス製ビンにガソリンを詰め、そして、そこに、ある薬剤を混入する事により地面にあたり、その部分が破裂した時にカラスが爆発的に発火する事を狙った兵器となります。
今後、就職氷河期世代が大量に中年世代に差し掛かってきます。男性も女性も等しく老化を迎えます。特に女性の場合、ある年代に達すると、子どもを産む事が実質的に困難になる残酷な現実を突きつけられます。
そして、このようなガソリンを使った放火テロ行為は男性であっても女性であっても、可能でしょう。
それどころか、女性の方がこれまでテロなどを起こした歴史が少ないため警備の目が行き届かず、その犯行を行いやすい、とさえ考えうるかも知れません。
現在新就職氷河期世代が、社会に対する自暴自棄を抑えている存在とは何か、それは親族の存在であると私は考えています。
自分の両親が今のところまだ健在であるから、自分が何らかの犯罪的行為をした場合、自分の両親には世間の冷たい目が向けられる、いわゆる日本の心理的抑圧効果によって犯罪の増加が抑えられている事実は確実に存在するでしょう。
これらの親族を利用した萎縮効果は、生活保護を受ける際、親族に対して「申請者に援助をできるだけの資金的余裕がないのか」、と行政が嫌がらせ的に尋ねる行為に見るまでもなく、親族を巻き込むことは個人の行動を非常に制限させる効果がある事は確かです。
しかし、今後、就職氷河期世代の親達が要介護の状態となり、そして、就職氷河期世代が、まともな年金を受け取る事のできない状態になった場合、果たして彼らは本当に黙ったまま自分の人生を全うするのでしょうか。私はそうとは思いません。
おそらく、彼ら、彼女らは自分達の怒りを必ずや社会に対する報復として何らかの行動に移す者が少なからず出てくるのではないかと考えます。
そして、自分の要介護になった両親を両親を殺めて、示威行為を起こすかも知れません。
世間では「自己責任」なる、グロテスクな言葉が弱き者達に投げかけられます。しかし、「自己責任」と言うのであれば、
「自分の責任のもとにおいて自分の人生の締めくくりに社会に対し落とし前をつける、そのため、にガソリンなどを使ったテロリズムを行い自分の人生を終了させる」
のも、また、「自己責任」と呼べるのではないでしょうか。
つまり、自己の責任、すなわち自分の人生を賭して、そして、社会に対し報復を行う、との考えです。それも「自己責任」の拡大解釈として可能ではないでしょうか。
高齢化した就職氷河期を暴走させないためにはどうすれば良いのか
では、どのような対策を行えば、そのような破滅的な未来を呼び起こさないのかの解決策について書きます。
まず、今すぐ就職氷河期世代型の経済的、生活的安定、そして、行政主導による就職氷河期同士でのパートナーの構築などの救済策を行うことです。
もはや、その最後のチャンスとすら言えるでしょう。
たとえ、子供がいなくても世の中には幸せな夫婦は多く存在します。
そのような関係性を行政指導で、これまでの無為無策の責任として、全力を投じて行うべきです。
そして、まだ子供の産める就職氷河期世代の女性に対しては、子供を産んでもらう。こどもが存在しようが、しまいが、カップルとして就職氷河期世代同士が結婚する事によって、守るべき存在、つまり愛するべき存在がいる事によって、社会に対し自暴自棄、絶望を起こさせない社会とすべきです。
社会の安全保障としての就職氷河期世代に対する補償政策は待ったなしです。
しかし、為政者達は就職氷河期世代を救済するどころか、愚かにも更に安価な使い捨て労働力として外国人労働者を導入しようとしています。
こんな社会にまともな未来など待ち受けているのでしょうか。私は甚だ疑問に思わざるを得ません。就職氷河期を放置した責任は社会全体が恐るべきテロリズムによって報復を受けるのかも知れません。
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