カネ目的のブログはウェブの信頼性を破壊する 安っぽく、疑わしいブログ

By | 2017年8月7日
blog-and-culture

なぜ、そのブログが安っぽく見えてしまうのか

ある事例について調べていたのですが、不幸にも「ブロガー」を称するものたちの書くブログが多く検索結果に引っかかてしまう分野であり、非常に不愉快な思いをしました。なぜ、ブログが検索結果に引っかかると不愉快になるのか、それを論じます。

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陳腐な表現、テンプレートで作っったかのような「何処かで見たことのあるデザイン」

自分の考えを深く表明しようとしない軽薄さ、それらは表現を行う者としては、その時点で失格と言えることではないでしょうか

別にそれがブログのデフォルト設定や、それがいわゆる一般的なデザインであればまだ良いのですが,わざわざ自分から他のブログ、特にそれはどこかで見たことがあるような、何かと似たようなテンプレートを導入する。

それはアクセス目当なのでしょうけれど、どこかで見たことがあるようなテンプレートを使うことにより、コンテンツ自体がまるでコピーをしているのではないか、と疑わせるに十分な疑念を抱かせてしまいます。

またこれは明らかな文字数稼ぎのためでしょうけれど、砕けたような言い回しを使い、誰もがわかりきったような説明を行う。しかも、そこに書かれている内容は、今までどこかで見たことがあるような内容、そんなブログを信用しようと思う者は一体どこにいるのでしょうか。

逆に、平易な言葉で書いていても、安っぽくないブログは、「手に職」のあるものが書くブログであるように思えます。その際はほとんど不愉快さを感じることはありません。

それは、あくまでもブログを「趣味」もしくは「自分の備忘録」として割り切ることができるがゆえに、「普通の」人を苛つかせない、つまり、安っぽくない書き方ができるのでしょう。

結局、人間とは精神的な余裕が文章に絶対に出てしまうものです。小銭を稼ごうとする浅ましい考えがテキストにプンプンと漂うようなコンテンツで埋め尽くされようとしているwebの空間とは、それは現代の社会のレベルの低下をまざまざと見せつけている状況なのかもしれません。

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小銭稼ぎの浅ましさ

何度も書くようですが、インターネットでは基本お金を稼ぐことはできません。これらの薄っぺらな、そしてコピーしたかの様なテキストを書く者たちはインターネットで小銭を稼ぐ事に躍起になっているのでしょうが、そんなことをするのであれば、バイトでもした方が良いのではないでしょうか。

もし会社員でバイトができないのである者が、「小遣い稼ぎ」としてそれらのコンテンツを書いている場合、バイトができないような会社、それはその会社自体がおかしいのですから、その会社や、その企業の存在する社会というものについて糾弾の記事を書く、それこそが本来のインターネットの役割ではないでしょうか。

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右へならえの浅ましさ

またweb上ではアクセス稼ぎのために自分よりアクセスを持っているブロガーに対し、別のブロガーは媚びへつらい、自分が良いとも思っていないサービスや商品をヨイショする。

その結果としてwebにはその商品若しくはサービスに対する美辞麗句が満ち溢れ、インターネットそのものが全く信用もできない状態になり果てようとしています。

それはまるでカネという一つの目的のためにWebの上に大政翼賛会を再結成しているようなものではないでしょうか。金のために自分の言いたいことも言えない、こんな恥ずかしいことを全世界に向かって発信している、それに対して誰か疑問を感じないのでしょうか。

ブログは文化を破壊しかねない

それはある意味ではテレビと同じようなものなのです。
テレビは「知的水準が高いとは言えぬ者たちをも想定して作る」と言われます。
カネに魂を売ったブロガーからすれば、同様の手法を喜々として取り入れるのも当然の方法なのかもしれませんが、それは見ている人を不愉快にさせかねません。

加齢や障害による物理的なユニバーサルサービスはその必要性を理解しますが、自らの知識欲のないものを手玉に取ろうとする精神はサービス精神などではなく、書き手の精神の浅ましさそのものではないでしょうか。

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