手段と目的の逆転したメディアとしてのブログ、カネ儲けのためのメディア

By | 2018年2月1日
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ブログでは儲ける事ができません

私はこのブログで何度も書いていますが、このブログでは全くお金儲けはメインテーマとしては考えていません。

もちろん広告は掲載しているのですが、それはあくまでも、おまけ程度の扱いにすぎません。

よく自分のブログに大量のアクセスがある、などと威勢のいい数字を書くブログがありますが、それらの威勢のいい数字は客寄せの意図を丸出しにしていると言えるでしょう。

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カネのために主張が決められるメディア

お金の実入りが良いから、紹介するアフィリエイトの商材を変える、それによってブログのスタイルそのものすら変えてしまう。そんな人物の主張を信用する事ができるでしょうか。

そもそも自分のブログにお金のを書いている時点で、もはやそのブログは信用に値しないブログと私は考えています。

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雑誌などの紙媒体でも同じ事ですが

とはいえ、雑誌などでもカタログ雑誌などと言われるように、新製品を紹介するような雑誌が存在します。そのような雑誌はメーカーによって提供された商品をを広報として雑誌に掲載しているのでしょうけれど。

ただ、その場合、編集の手間や専門家を雇うなど、それ相応の人手が関与し、あまりおかしな記事は作られない、もしくは一定の「読み物」としてのレベルは保っているように思われます。ウェブでよくある、「~を調べてみました」「わかりませんでした」などのブログのレベルとは月とスッポンです。

また、それらの雑誌は「見る、読む」事自体が楽しみですから。また、ミニ教祖化する事もありません。

ブログはWordPressなどのCMSを使う事による、誰にでも書ける利便性の非常に悪い面が強調されている状況です。

つまり、本来、自分の主張を書くためのメディアであったはずが、その記事を書く事によってお小遣いを得ること「も」であり、それは書き手のモチベーションの維持のツールであったはずの金銭を得る行為が、それが主たる目的になり、検索結果さえ左右されている、それが現在のブログメディアです。

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人間の醜さを知るためのメディアとしてのブログ

ブログとはおカネありきの、間違った手法によって歪められたメディアとなっているのではないでしょうか。

そのために、玄人っぽいブログについては、最初から金儲けにウエイトの置いたブログであるとの認識をするようになっています。見た感じ小奇麗なブログよりは、むしろ、見た目はいかにも素人くさいぶろぐで、自分の意見だけを書いている、そんなブログの方がよほど信用できると私は考えています。

常識ある淘汰を願う

では、そのようなウェブに対してどのように対応すべきか。最近の私の主張として、団塊の世代は自分の生きた方法をブログで書くべき、と考えています。

そうする事によって、アフィリエイトありきのブログが表示されにくくなるのですから。

また、彼らの生きてきた証をブログとして残す事それは思考と文化の継承に他なりません。今のカネ目当てのブログが検索結果の先頭に多く表示されることそのものが、おかしな状態なのですから。

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