
まずは結論から。
こういう問いに対して、いわゆる「SEOに強いブログ」が必死にページ滞在時間を伸ばすために、延々と結論を先延ばししつ、だらだらとウィキペディアからの情報を書く、などというブログが先に散見されますが、そのようなブログは、非常に私は読みづらいと思うので、まずは結論から書きます。
政治的な思想ブログで書く事に私は大いに意味があると思います。
なぜならば、自分の不平不満を社会に対して匿名で発信できる事のできるメディアが、20世紀になり、ようやく確立され、せっかくその利用が日本国内においては誰もが自由に行う事ができるにも関わらず、それを行わない事は現在の社会問題、特にそれは深刻な社会劣化、少子高齢化に見て見ぬふりを行っている事と全く同義語であると私は考えます。
集団的な投票行動、これは企業の系列を利用した政治パーティーへの勧誘であったり、そこでの投票依頼行動など、それらは無党派層、つまり、何も考えていない人々を取り込むための構造に他ならず、かたや政治の事を真剣に考えている者と、全く何も考えていない者が存在し、それらが同じ一票である事は、それは、まるで不平等な社会であるかのようにさえ、考えてしまいそうになります。
しかし、それが故に、Webを使った発言をし、問題提起をしていく、その問題提起をする事によって、それが平和的な議会による社会の改善、つまり、政権交代に結びつくのではないか、と考えるのです。
そのために微力ながら、議論のためのツールとして、ブログでの自分の主義主張の発信は多いに意味があると私は考えます。
「無党派層」の行動
以前の会社で、お付き合いの上でどうしてもやむを得ない状況、つまり、お取引先の会社から、やむを得ず某政治家の政治パーティーに参加してくれ、と穴埋め要員で出席しました。
よくぞ、ここまで内容のない話をペラペラペラペラと喋る事ができますね、と思ったのですが。
それはある県議会の議員選挙だったのですが、まさに政策なき「雰囲気での投票」を求める行動、との印象を受けてしまいました。
昨今、財務省のお偉いさんが女性記者に対しセクハラを行った、などの報道がなされていますが、なるほど、なるほど。これはそのような雰囲気とよく似た人物と言えるでしょう。
ペラペラペラペラと中身のない話をするのであれば、県内の出生率の具体的な数値目標を述べるなり、もしくは、県の条例としてブラック企業に撲滅条例でも作ればよろしいのではないでしょうか?
なぜ、そのような中身のある事をなぜ言えないのでしょう。
いや、むしろ、あんたは県議会議員などより、時代劇の悪代官をやった方がよく似合う、とさえ思ってしまうような人物でした。
もちろん、集会に出て名簿に名前を書いたとしても、そこで誰に投票するかは思想信条の自由が日本国憲法で保障されていますから、当然自分の頭で考えて投票をするのですけれど。
くり返しになりますが、政治の事をよく考えている人と、そうでない人が全く同じ一票である事は、ある意味では非常に不平等な感じさえ受けてしまいます。
それは何をもたらすか。つまり、選挙結果に候補者の組織による集票行動や、言われるままに何も考えていない人々の取り込みなどの組織的な行動が裏側にあのです。
当然、その支援組織にしたところで、特に与党側、為政者側は何の見返りも求めず「ボランティア」としての行動は絶対にありえないでしょう。
その結果として、公共工事としての無駄な箱モノや、わけのわからない「都市改善」などとに税金をジャブジャブと使う行政に結びついてゆくのです。無論、「公共工事」や「都市改善」を行う業者から「ボランティア」が出ていることは言うまでもありませんが。
ブログでの政治的意見の発信として
政治において、何も考えていない事は、すなわち、為政者に信任投票したという事と全く同じです。
為政者たちは宗教団体や利権団体などを駆使して自らに投票させるのですから、「無関心」な人々が増えるほど、自分への投票が増える事とイコールです。
「社会に対して文句を言っても何も変わらない。自分が変わらなければならない」
などという議論があります。確かに、それは一理あるかも知れません。その極端な例としたブロガーでしょう。ブロガー達は、まるでマルチビジネスの販売員のようにポジティブ思考を唱え、「この商品がいい」「このサービスがいい」と不特定多数の者達にモノやサービスを売りつけているのです。それは確かに「自己変革」と言えるでしょう。
もっとも、もその試みは多くの場合、無残な、そして、本名顔出しをしてしまった事による、実生活への深刻な社会的影響を伴う失敗に終わるのでしょうけれど。
社会に問題して問題を言う事が恥ずかしい事なのか? それが悪い事なのか? 確かに私はこのブログを完全に匿名のブログとして書いています。絶対に、どこの誰かを明かす事はありません。しかし、それがゆえに言いたい事を言えるのです。
特にこの昨今において、おそらくは組織的背景があると思われる、いわゆる「ネット右翼」などと言われる者達が差別的、侮辱的な行動を散々に繰り広げています。
しかし、そのような空間、そして、そのような時流であるからこそ、言うべき事を言う。
それが、何らかのヒントになればと私はこのブログを考えています。
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こんにちは。結論から書かれる姿勢には私も賛成です。
仕事にも言えることですが、大したことでもないものを矢鱈勿体つけようとする輩は100%無能です。
>いや、むしろあんたは県議会議員などより、時代劇の悪代官をやった方がよく似合う、とさえ思ってしまうような人物でした。
いやはや、あまりにも的確で辛辣な評価。痛快な気分になりました。企業にせよ政治にせよ、形骸化した茶番で濁す方法はそういつまでも通用しないと自覚した方が良いと思います。
このような時代だからこそ、真っ当に生きた方が良いと考えますよ。真っ当な姿勢で経営する企業こそ、成功と繁栄に値します。世の中がそうなってほしいと願ってやみません。
けいさん 様
コメントありがとうございます。
地方議会は「闇」ですね…。今後もいろいろと書く予定です。
>このような時代だからこそ、真っ当に生きた方が良いと考えますよ。真っ当な姿勢で経営する企業こそ、成功と繁栄に値します。
強く同意します。
「嫌なら辞めろ、代わりはいくらでもいる」
というセリフが人手不足で使えなくなりつつある今、「法を守る常識的な企業」しか生き残れない社会になれば、と思います。