
大体の場合はカネ目的で演じている
自信満々でブログを書くことにより、信者もしくは定期的な読者を獲得し、「そのブロガーが自信満々で書いている商品、サービスだから良いものであろう」と勘違いをさせ、アフィリエイト収入を得ることを目的とする意図を持った、「作られた自信」としてのブログの表現手法でしょう。
そもそもインターネット上で、自分の自慢話をして、一体何が嬉しいのでしょうか?
インターネットはどこの誰が見ているか分かりませんから、数万人に1人ぐらいは、そのような自信満々の人物に精神的に依存してしまう人が存在するのも、また事実なのでしょう.
自家中毒の果に自信過剰となる者もいる
とはいえ、そのような自信満々な生き方の「表現」をブログ上でしていれば、普段の生活とブログ上での人格との間で乖離が生じ、その結果として自分の書くブログの内容が、ますます一般社会とはズレた表現、もしくは自分の自意識と一体となってい悪循環に陥る者が存在するように見えてなりません。
ウェブでの自慢話は、それ自体が存在不要
そもそもインターネット上で自分の収入や仕事について自慢をする必要はどこにもありません。常識的に考えた場合、一体どこの誰が見ているかもしれないネットで、自分の収入や所有する車、家族などを自慢することは、自分が犯罪被害に遭う確率を飛躍的に高めている行動に他なりません。
また、インターネット上で、経済的な自慢をする行為は、どう考えても社会的に成功した者が行うべき行動ではないと私は考えます。それは自分の生活の安全面を保証するため、また、自分の時間を持つため、プライバシーを守るため、などの、ごく常識的な動機として、それらを書く必要はありません。
ウェブでの自慢話はリトマス試験紙となる
ウェブで自慢話をしていたら、だいたい「何らかの意図がある者」が書いていると思ったほうが良いでしょう。
それは、その自慢話の意図の裏にあるものを読み、その言論のほころびを楽しむために読むのであれば、高度な楽しみ方、としてはそのブログを読む意味はあるのかもしれませんが、それは多くの場合は失笑に終わる、時間と労力の無駄に終わるでしょう。
特に、一見、自慢話ではなさそうに見えて、自慢話のオチであった、などの場合、その付近にメールマガジンや情報商材のリンクがあることが多数ありますが、それこそがまさしく読者を自分の金銭的な支払いターゲットとしようとする、その「意図」の末端部分と言えるでしょう。
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