
ブロガーこそ、本来は貧乏を扱えるメディアですが
私のtwitterなどを見ているとブロガーと呼ばれる者たちは、「こんなに儲かった」「こんな場所に行きました」「こんなものを買いました」といった話題を行い、そこに貧しさや貧困といった問題を正面から取り組んでいるブロガーは、いないような気がします。
なぜ貧困の話題を扱えないのか
では、なぜ貧困の話題をブロガーは「扱えない」のでしょうか。その理由は簡単です。
現在の「ブログで儲けた」、と称しているをしているブロガー達の、収入のその多くはアフィリエイト収入であるためです。
アフィリエイトとはブログを見た者に、自分のブログのリンクから商品やサービスを買わせることによって自分の収入とするものです。そのため、ともかく、自分のサイトからサービス商品を買わせないとなりません。そのためには、自分はその商品やサービスを買ったことにして褒めるそれが一番説得力が高い、効率の良い「買わせ方」となるのでしょう。
そのため、当然、モノやサービスを買うことのできる財力=それは一定程度の収入となります。
また、自分のブログで、「これだけ儲かった」「ブログで自由な生活ができている」などと称することによって、「その手法を教える」と称する自らが運営するサロンへの加入をさせること、擬似株などを購入させることもブロガーは企んでいるのでしょう。
それらの、自分の金銭の収入に直結する思惑があるがために、ブロガーは貧困について正面から使うことができないのではないでしょうか。
貧しくなる日本での正しいメディアとしてのブログの可能性
とはいえ、ブログほど貧困の問題を扱うのには最適なメディアはないと私は考えています。
ブログとは何を書いてもいい媒体ですし、また自分の収入源がブログに依存しないのであれば、そこには社会規範や犠牲者の批判を行ったとしても、スポンサーに配慮する必要など何もありません。
しかし、現時点ではブロガーと称する者の多くは、自分の目先の小銭稼ぎに必死で、今後、社会を覆う深刻な問題を見て見ぬふりをしている、もしくは気づくことすらできないのかもしれません。
私はこのブログを使って、いずれ将来的にはこれらの貧困などの問題について書きたい気持ちはあります。ただ、いかんせん今のところそこまで時間も精神的余裕も回らないのが現状であったりします。
むしろ、「すみません。全部嘘でした」とするメリット
私はtwitterに流れるブロガー達の自慢話について、その多くは必ずしも事実ではない可能性があると考えています。
ブロガー達は上に書いた理由の通り、貧困を扱うことができない者が多くいます。また、現実的にブログで稼ぐためには言論を歪めざるを得ない構造的な問題がある、とさえ考えることができます。
そこで私はブロガー達に提案したいと思うのです。
「『ブログで儲けてます』と言うのは、それは針小棒大な意見です。」
「ブログで確かに収入を得ていますが、実際はバイトなどで補助的、もしくは主たる収入を得ています。」
と言ってしまいましょう。そして自分は実は貧乏で、こんな生活をしている、と言ってしまえば、あとは怖いものなど何もないでしょう。
しがらみが無いがゆえに、自分の職場のブラックな環境を晒し上げにする、また、そこで出会った者たちのブラックな労働環境をインターネット上で晒し上げにする、などの衰退していく日本のリアルタイムでの記録は非常に大きな意味があるのではないでしょうか。
無論、そんなことをすれば、いわゆる「ブロガー」たちから村八分を食らうのかもしれません。
しかし、それでいいじゃないですか。たとえ、ブロガー達の輪から外れたとしても、真面目に社会問題に取り組んでいれば、それはブロガー以外の輪が確実に出来ことになるでしょうし、ブログという小さな枠組みの中ではなく、衰退するこの日本社会、その巨大な問題に取り組む方が、よほど有意義な表現者であると私は考えます。
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