ブロガー達の禁煙議論に見る胡散臭さ、お手軽な「社会派」を否定する

By | 2017年6月3日

ちなみに、私は非喫煙者だったりするのですが、いわゆる「ブロガー」の禁煙議論の胡散臭さには耐え難いので、「あえて」喫煙を擁護してみようかと思います。決して為政者を利するつもりはありません。

blogger-cigarette

タバコは文化でもある

日本の固有のタバコとしては刻み、キセルなどが有名ですが、タバコとして紙巻き、葉巻など、それぞれに歴史的背景があり、また、そこには文化も生まれています。禁煙と一言で片付けてしまうことは、それらの文化を圧殺する事に他ならない、との考え方もできます。

もっとも、この社会は保守達の言動に見られるように、自分達にとって都合の悪い歴史は無かった事にするのが得意な社会ですから、煙草の文化なども当然のように最初から無かった事にされるのでしょう。

先進国を引き合いに出して批判するが、日本は先進国か?

それをオリンピックを引き合いに出し、共謀罪や箱モノをつくったり、している事、もはやそれ自体が「我が国は発展途上国である!」と満天下に言いふらし回っている事と等しく感じてしまいます。

今更オリンピックを誘致し、それを錦の御旗とできる、それは社会の成熟が不足していることの逆説的な証明でもあるのですが。

そして、今更大量に作る箱モノ、それは将来的には維持経費として税金を大量に投入せねばならない物を作る時点で、もはや先進国ではありません。

それを今更、禁煙議論だなどと、それはただ単に先進国ごっこをしているに過ぎないと思うのです。本当に先進国と言いたいのであれば、まず目先で起こといるブラック企業やサービス残業に対して厳罰化を行う事が先決です。オリンピックに来た選手たちが日本でブラック企業が闊歩していることを知るほうが、よほど「恥」だと思いますがね。

共謀罪他やテロ防止法だ、など為政者達は言っていますが、それはただ単にオリンピックを利用した為政者の権限拡大に他なりません。それらは今の社会のお粗末な状況がよく表れています。

利己主義の印象を与えるブロガー達の禁煙議論

話をもとに戻します。それらの「オリンピックにこじつけた」議論の一環として禁煙の強化が行われています。

ブロガーは意識高い系でしょうから、タバコなど吸わないのでしょう。だからこそタバコを叩ける。それはブロガーたちの共通事項とすら見えてしまいます。

しかし、それはただ単にブロガー達が自分達にとってタバコは煙たいから叩く、という極めて利己的な、社会問題とは別のタバコ議論と言わざるを得ません。

タバコの健康被害、それは誰にでも言える事です。しかし、煙草文化がこれまでいかに生活と密着してきたかの議論は全くなされる事はありませんし、すなわちブロガーの禁煙議論とは、手っ取り早く社会を味方につけるための方便にすぎないのではないかとすら思ってしまうのです。

むしろブロガーはタバコの良さをアピールするくらいの非常識さを持っていてしかるべきでしょう。

彼らはアフィリエイトなどを使って自分の小銭を得るためには自分が良いとも思っていない商品を散々持ち上げる事ができるのですから。つまり、ブロガーの現在のタバコ議論とは、ただ単に彼らの利己的な、手っ取り早いお手軽な、薄っぺらい「社会正義」の議論にほかなりません。

無論、分煙は進めるべきである

言うまでもなく私は現在タバコを吸いません。そのため禁煙の必要性も一定程度は理解します。しかし、それは現在のようなヒステリックな議論ではなく、喫煙をする者、喫煙をしない者が、それぞれが共存できるような分煙としての議論を進めるべきではないでしょうか。

ちなみに紙巻と葉巻は全く違うものです。紙巻の場合は肺までその煙を吸い込みますが、葉巻の場合は肺では吸い込まず、口の中でふかすだけでその味を楽しむ純粋な趣味的な楽しみのためのもの、としての意味合いが大きいです。

そのような議論は、タバコと言えば禁煙しか出てこない薄っぺらな議論の中では絶対にされる事はない話題でしょうけれど。

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