
「文士」のクズっぷり
私は10代の頃に太宰治の作品をかなり読んでいたのですが、今、ふと気になって、それらのいわゆる「文士」と呼ばれるような人々の振る舞いを調べてみると、いわゆるところの「人間のクズ」と呼ばれるような行動が多々あります。
文学界において三大クズと言われるのは太宰治、中原中也そして石川啄木と言われます。
太宰治は「桜桃忌」に代表されるように、妻と子どもがいるにもかかわらず愛人と入水自殺をし、石川啄木は借金に借金を重ねた上で「僕に頭を下げさせたやつは死ねばいいのに」、などの傲慢極まりない態度、中原中也に至っては自分を尊敬する太宰治をボロクソに虐め抜くという、ほぼ性格破綻者の様な行動。
とはいえ、だからこそ彼らの書いた文章や詩は面白いのです。文章はどんなに綺麗に着飾り、美辞麗句を並べ立てたとしても、文章を通して人間の本性というものが現れるものです。
つまり、文豪の人間としての屑っぷりが、文章から微かに匂う狂気として、作品の面白さ、奥行きをを呼び起こすのではないでしょうか。
現代のブロガーは文士の足元にも及ばない
時代は変わって、私の嫌いなブロガー達のブログ。特にこの記事では絶対に名前を挙げることはしませんが、いわゆるところの「クズ」が多数存在するような気がします。
無論、全てのブログがそうであるとは思いませんが、少なくとも、検索結果の先頭で、「儲かった!」などど称する詐欺まがいの集金行動や、「ブロガーのXXさんは凄い!」などと相互ヨイショのSEO記事を書いている輩の多くは、それらは「まっとうな行動」なのか著しい疑いを抱いてしまいます。
しかし、彼らを「クズ」と仮定した場合に、彼らの書くテキストに全く面白みを感じることができない理由とは、彼らが文学的教養と信念がないがゆえに、もしくは、そもそも自分の書く文章は、ひたすら金を集めるための「道具」としか認識できていないためではないでしょうか。
もし、彼らが文学というものを知り、自らの金銭欲と顕示欲の屑っぷりを余すことなく表現するのならば、それは現在の退廃的文学とも言えるのではないでしょうか。
つまりブロガーどもは、小手先のアクセス集めの文章を書くな、自分の屑っぷりを余すところなく書け、と私は主張したいのです。
ブロガーはクズっぷりを売りにせよ
ブロガー達は自分のブログからアフィリエイトの物やサービスを買わせるがために、自分がいかにモノを知っているか、自分はいかに面白い人物か、いかに注目すべき人物であるか、ということを声高に主張します。
しかし、そうではなく、自分の屑っぷりを余すところなく、そして社会に挑戦するかのように書いた方が、よほど面白い文章なのではないでしょうか。
どうせ、webの上に自分の実名と顔写真をさらしてブロガーとして私生活を針小棒大に公開してしまえば、もはや常識的な生き方に戻ることなどできないのですから。そうであるならば、開き直って、自分がクズであることを堂々と認める方が面白いブログを書くことができるのではないか、と思うのです。
何も失うものがないのであれば、自分をあたかも「社会の敵」であるかのようにweb上に自分の存在をさらけ出し、自分の屑っぷりを誇示するかの様な文章を書く、つまり、
「自分のウェブサイトからアフィリエイト経由の商品を買え!」
と上から目線で命令するかのような内容の方が、よほど清々しいと思うのです。
それを文学的に書くならば、
「ウェブを観覧する愚民の諸君!余の生活のために、余のサイトから、博学なる余が推薦する商品を、感涙しつつ買ひたまへ!」
と言った感じでしょうか。変に上から目線を隠し、へりくだって物を売りつけるよりも、クズっぷりがエンターテイメントとして面白いでしょう。逆に、清々しさすら感じさせるでしょう。
また、現実的には「儲かった!」と称しつつ、実際はブログだけでは食えないのでしょうから、バイト先の社員の事をボロクソに罵倒する、企業批判をする、労働そのものを否定する、などの反社会的言論を繰り返すのも良いでしょう。
「ぼくは天才なのに、労働を強いられるのは、なんて不幸な世の中なんだ! 世の愚民共に、ぼくのありがたい考え方を教示してやる!」
「天才のぼくがブログだけでは食えず、バイトをするなんて、なんて屈辱的なんだ! バイト先の店長は年下のくせに、ぼくをこき使いやがって! XXXフードのXX店長はバイトの女の子に手を出している! だいたい、XXちゃんは、なんで、ぼくよりもあんな店長がいいんだ! ウェブ上で告発する!」
などなど。(苦笑)
現在の多くの「ブロガー」はSEO目的のヨイショ合戦や、安全圏から物やサービスを売りつけようとする小銭稼ぎ性根の見え隠れするだけであり、それらは面白さのかけらもなく、ただ単に小心者の醜さにすぎません。
さあ、ブロガー諸君、今日から自分の「クズ」っぷり余すところなく堂々と書こう! どうせ、まともな生活には二度と戻れないのだから!
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初めてコメントを書かせていただきます。どうぞよろしくお願いします。
ブロガーの胡散臭さについて検索していたところ、こちらの記事に辿り着きました。他の記事もいくつか読ませていただきまして、共感できることが多く、自分の頭で考えることの大切さを再確認させていただきました。
質問があるのですが、管理人様はツイッタラー連中をどう思っていますか?私としては、媒体こそ違えどブロガーと大差無いと考えております。といいますか、併用しているブロガーも多数いるようですね。ブロガー界隈もツイッタラー連中も、皆が皆とは言いませんが歪んだ村社会意識を持っているように見受けられます。
それにしても、ネットも変わりましたね。以前は風通しがよくフラットだったように思います。今では妙に肩に力の入った(それでいて何ら実態の無い)意識高めな物言いばかり目につくようになりました。ネットをガス抜きの一環として利用していた私はもはやマイノリティなのでしょうか。巧言令色にの裏に隠された言論統制にはうんざりしております。
何やら愚痴っぽくなってしまいましたが、お時間が許すときにツイッタラーについて記事を書いてくださると幸いです。
では、長文失礼しました。これからも記事の更新楽しみにしております。
けいさん様
コメントありがとうございます。
>巧言令色の裏に隠された言論統制にはうんざりしております。
そのとおりです。まるで、一体、どこのセクトか、カルトか、な状態ですよね。
原則論としては別にウェブには何を書いてもよいのですが、彼らが徒党を組むことによって、検索結果が「すごく変な事」になっているのが最たる問題と認識しています。
また、ツイッタラーについてなのですが、興味深い問題提起をありがとうございます。
ツイッターの場合、基本的には「自分で読みたい者を選択する、閉じた世界」と考えているので、ミュート機能を使いつつ、「セクトやカルト」の「お言葉」は味付け程度に入れている感じでしょうか。
ある意味では、自分の知りたい情報をメインに、時々、「うさんくさいブロガー」たちの、「日頃からの意識高すぎ」なつぶやきを、ほくそ笑みながら読む感じでしょうか。
近い将来、ツイッターについても書こうかと思います。
返信ありがとうございます。
>検索結果が「すごく変な事」になっているのが最たる問題と認識しています。
何か検索しようとして真っ先に引っ掛かるのが中身の無い薄っぺらな記事、ということが少なくありませんね。特定の問題について検索しようとすると、賛同する意見ばかり過剰に引っ掛かるのが気持ち悪いです。「嫌なら見るな」では済まないため非常に迷惑しております。
>ある意味では、自分の知りたい情報をメインに、時々、「うさんくさいブロガー」たちの、「日頃からの意識高すぎ」なつぶやきを、ほくそ笑みながら読む感じでしょうか。
ある程度距離を起きつつ俯瞰して見ている方が汚染されずに済みそうですね。ブロガーではなくても、顔出しされてる方々はやっぱり一癖あるように見受けられます。
ブログもSNSも引っくるめて、リアルとSNSとの充実度比較調査とかやってくれたら面白そうですね。見事に反比例しそうな気が(汗)
更新楽しみにしています。では失礼します。
けいさん様
ありがとうございます。
別の方法としては、ツイッターは複数アカウントが作れるので、
「あえて、わざと」意識高すぎな輩を集めて観察するアカウントを作る、というのも
「エンターテイメントとして割り切れば」ありなのかも知れません。
とはいえ、彼らの話を読んだ所で、人生に役に立つ話など1つも無いでしょうけれど…。