なぜ、いわゆる過激派と呼ばれる共産主義組織が分裂を繰り返し、そして、離脱への道を当事者の視点から描いた一冊です。
なかり読み応えのある一冊です。
結局、共産主義における、その問題点とは権力の集中であり、そして、平等の名の下における思考の停止もあり得るでしょう。
もちろん、現在の社会の新自由主義における様々な問題がある事も確かですが。
また、この本の中にも繰り返し書かれていますが、極めて問題ある官僚的な組織体制という事も挙げられるでしょう。
ちなみに、この組織のトップは「大逆のゲリラ」という本を書いています。
その本も読んだ事がありますが、そちらはトップが自分がこれまで作り上げてきた組織法を俯瞰的に見た書き方です。アイラブ過激派においては、そこに属していた人から見た視点であるためかなり印象が異なります。
この手の組織におけるトップとは観念的な理論的な哲学的な体系に基づく組織運営もしくは、組織の存続させる事自体が目的であるという事が往々にしてあるのです。
また、現在でも過激派と呼ばれる組織が存在する事は確かですが、その多くはもはやテロやゲリラなどによる直接的な武力行使を中断し穏便な、選挙による手段もしくは、労働運動への特化、または、それらの意図として自己の組織を存続させる事のみに主眼が置かれた状況と言えるでしょう。
共産主義のもとに集団生活、アパートに男女8人が住む、それで問題が起こらないわけがありませんというのが私の方感情でしょうか。
自分の生きる目標は何かというテーマに対して共産主義という、あまりにも壮大な、そして、絶対に、それが先実現される事のない理想論を信じてしまった結果として社会との軋轢に立たされる、また、当局の取り締まりの目と敵対組織の襲撃に怯える生活を行う、そのような活動を赤裸々に、描いた一冊言えるでしょう。
ただ、この本を読んでいて感じるのが非常に意図的にぼかして書かれた部分が多い気もします。
それは、この組織が非合法的活動、すなわちゲリラ行為を繰り返していため、それらの詳細を書く事ができない点もあるのでしょう。
また、この本の中ではいわゆる内ゲバと呼ばれる過激化組織同士での暴力事件についても書かれています。しかし、それらは何という不毛な行動なのでしょうか。
ありえもしない共産主義を信奉しながらお互いに自分達こそが唯一の正義であると主張しあい、暴力沙汰や挙句の果てには殺人事件すらも起こしてしまう、その不毛性、不条理。
自分達の考え方を押し広める上で明らかにおかしいですよね、という極々単純な考え方が通用しない、そんなおかしな状況を自分達が行動で示してしまっている、それは組織のそもそもあり方の間違いを表してしまっている行動かも知れません。
もちろん、それらは現在ではほぼ時効が成立しているにも関わらず、自分の関わりを書く事をためらわれるのは当然な心理と言えるでしょう。
この書籍で書かれたブントは共産主義組織としては既に解体され、決して、その組織は大きくもなく、また、過激派と言われる中では必ずしも先鋭的ではなかった組織ではありますが、そこに属してきた人々が一体ら何を考えどのように行動していたかという記録という意味においては非常に意味のある1冊ではないでしょうか。
ただ、苦言を呈するならば、最初の方自分の宗教的な遍歴について、やや長い文章を書きすぎのような気もします。
この部分については作者の書き方、よりは編集部がもう少し構成について手を入れてもよかったのかも知れません。
あと思うのは共産主義が進歩する事は自分が生まれてきた存在理由、つまり、レゾンデートルにおける大きな物語への挑戦という
宗教的情熱
(あえてここではこう書きます。)
がゆえの行動と言えるのかも知れません。
つまり、共産主義者とは神のない宗教とさえ言えるのかも知れません。
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