学生運動とは何だったのか?普通の学生から見た実情 書評 ゲバルト時代

By | 2017年2月21日
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共産主義が学生運動として行われていた時代の回顧録

1960年から1970年にかけて学生の間で共産主義が蔓延しました。

当時の学生の存在とは、今のような半分以上が短大を含め、大学卒業となるような世相ではなく、まだまだ学生は社会のエリート感覚がありました。

それらの学生は、自分たちが世の中をどのように良い方向に向けていくために、どうすればよいのか、それを考えた末に、たどり着いたのが共産主義でした。

しかし、それは今となって見てみると明らかな間違いを日本の学生の多くが、まるで熱病にうなされたかのように行っていた時代でした。

本書はそれらの共産主義の思想の流行が吹き荒れた時代を、普通の一人の学生が、共産主義をどのように実践として行っていたかを書いた一冊です。

思想ではなく行動の時代ではなかったのか

実際、この時代の事をいろいろと思想的に書く作家もいるのですが、所詮私から言わせると

ノリです。一種の麻疹(はしか)のような

例えば学生運動において、目の敵にされた機動隊はあくまでも警察であって、軍隊ではないなのです。

そこにセクト(共産主義の学生集団)が突っ込むなり、バリケード戦略を行うなりしていたのですがしかし、その背後には自衛隊が居たわけで、自衛隊は幸いにも学生運動には参加する事無く、学生(および過激派)vs警察、の構図で、そこにマスコミや世論が乗っかった時代と言えるでしょう。

つまり、それは「思想」ではなく、学生特有のエネルギーを持て余す対象を共産主義思想信条に乗せ暴れ回っていた、と考えてもいいのかもしれません。

本書の特徴

イデオロギーに基づく学生運動の回顧本は多くありますが、本書の特徴的な部分として、イデオロギー以前に、個人が一体どのように考え、どのように行動したか、それを念入りに書いています。

こういった行動記録は、「偉い人」が書くと、その立場上、書けない事、もしくは歪曲せざるを得ない事象が多々発生してしまうので、いわゆるところの「普通の人々」がきちんと記録に残してゆくべきです。

もちろん、それは失敗の時代であった認識が大前提として存在すべきことは当然ですが、今考えてみると方向性は間違っていたとはいえ、このように学生が社会に対してきちんと関心を持ち、そして間違っていたとはいえ行動をしていたという事実、そして時代があった、という事については非常に意義深いものがあるのではないでしょうか。

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とは言え今も学生は洗脳されている

今の学生は口を開けば就職の事しか考えてないでしょう。学生運動をしていた学生は共産主義に洗脳されていました。しかし、それと対比して今の学生も就職という宗教に洗脳されているのかもしれません。特にカッコつけている意識高い系の学生たち、お前たちのことだよ。

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