学習塾が増える事の問題点 格差社会を悪化させる存在と教育の矛盾として

By | 2019年1月18日

塾は大きな問題を表している

最近学習塾が非常に増えているように見えます。しかし、学習塾が増える事は、非常に大きな問題を生み出していると私は考えざるをえません。

地方の特性などによって、高校の場合、私立の方が優先された状態の学習能力とみなされるのか、逆に公立学校の方が優先された学習能力とみなされるのか、による違いはあります。

学習塾とは、学校の教育以外に親の経済力によって子供の学習能力が左右される事になります。私立の学校+塾であれば、「経済力に余裕があるのですね」としか言いようがありません。

無論、それを選ばざるを得ない状況があることも確かですが、今回は公的教育機関に絞っての議論とします。

公立の学校で、子どもが塾に通うことは、学校側がきちんとした教育を施す事ができていない事の証左ではないでしょうか。

そもそも私立の学校がもてはやされる時点で、公立の学校の存在意義とは何なのか、という疑問を感じます。公立の学校における体罰問題、いじめの隠蔽、「人間ピラミッド」などの、わけのわからない教師達の振る舞い、それらは公立の学校で現在進行系の問題として存在します。

なぜ、公立学校の教員、すなわち税金を使って「教育を業」として行なっている者達が、まともに生徒達に正しい知識を教え事ができないのか、その結果として塾通いをせざるを得ないのか、それ自体が現在の公的な教育が、まともに機能していない事の証明ではないでしょうか。

これだけ塾がもてはやされる事は、学校が本来行うべき教育が適切な段階に至っていない、つまり、学校本来の存在意義さえ問われかねない問題ではないでしょうか。

もちろん、公立学校内でも進学コースを作ったり、また、0時限目学習や放課後の強制的参加による学習などの問題も生じています。

しかし、それらを行ったにも関わらず学習や能力が発展せず、ここまで塾がもてはやされる状態には教員達の、そもそもの存在意義さえ問われているのではないでしょうか。

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公務員教員たちの問題点

公立の教員者は、公務員です。その公務員としての教員が一般の働く民間で働く者よりも高い給料を得ながら、生徒達に人権侵害とも言えるような管理教育を押し付け、それにもかかわらず、まともな教育さえ施す事ができていない。

公的学校の教員たちのブラック労働? いや、それはあまりにも高い賃金を得ているのですから、相応の働き方に見えて仕方ありません。 むしろ、彼らの賃金のおかしさが、まずはじめに論じられて然りではないでしょうか。

一部の問題だけを切り取り、声高に自分たちの権利を叫ぶ、それは現在の外国人労働者導入の法案について、産業界にとって都合のよい部分だけを切り取り、クローズアップする事と同じような欺瞞的な議論が根底があります。

その結果として塾がはびこっている。これは、どのように考えてもおかしいの状況と言わざるを得ません。

公務員の教員たちは、自分達の教え方に問題があろうが、ともかく自分が担当している生徒が「問題」を起こさせなければ、自分達は安泰と思っているのでしょう。

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塾は格差を固定化させる

また、別の問題として、塾は子供が学習をする、一見非常に良い事のように見えますが、塾を使って学習をさせる事は、親の経済力によって子供の進学先に対する有利さを与える事ができる事になります。

塾は現在の日本での格差の固定化を推し進める側面があるのではないでしょうか。

つまり、豊かな家庭に育った子供は塾に通う事によって、良い学校に行きやすく、また、当然、私立の学校などにも経済的に行けるので、選択の幅が広いでしょう。

一方、それに対して裕福でない家庭に育った子供は塾に行く事ができないため、自分一人で勉強すればならず、また、学業面から国立大学や高専にのみ進む事ができるなどの、極めて高いハードルの選択肢のみ、となります。

本来、教育とは日本社会の将来への投資事に他なりません。

最近、国立大学でも次々と授業料の値上げが行れています。取れるところから取る、まるで消費税のような極めて短絡的な目先の事しか考えていない税金の使い方と言えるでしょう。

実際のところ、学習塾がなぜ、ここまではびこるかを考えれば、ビジネス的な側面でも大きいのでしょう。

一定の学習能力がある者、すなわち、駅弁大学と言われる学生であったり、就職氷河期の者達で、それなりの大学を出ている者などの、人的リソースを集め、あとは箱物さえ用意してしまえば、授業を始める事ができるのですから。

それは、派遣会社がある時期に雨後の筍のように乱立された経緯と非常に似ているのではないか、見えてしまいます。

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総論として

学習塾とは、一見、子供が学習をする事によって、社会が良くなると考えうるかも知れませんが、その深層には格差の固定化につながる行為、また、公的教育における責任の放棄などの深刻な社会問題を抱えた存在にほかなりません。

結局、社会の衰退は美辞麗句に飾り立てられて、その裏側で深刻な腐敗が進んでいくものです。

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