集団主義と日本 日本人の精神構造、行動の根本は三千年間進歩していない

By | 2017年3月4日
collectivism-japan

日本の根底にある集団主義

私はこのブログに繰り返し書いているのですが、日本の問題の根底にあるものは集団主義があると考えています。

それは学校での軍隊的な教育における運動会であったり、学校生活という名の集団行動であったり、または、社会においても「空気を読む」もしくは同調圧力によるブラック企業の存在、また裁判などにおいて異常なまでの検察側の勝訴率などが集団主義の弊害としてあげる事ができます。

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集団主義の時代は終わった

確かに経済成長かの1960年くらいまでは、国民の幸せはひとまず脇に置いておき、国家として発展し、その上で富を配分しましょう、という考えは一定程度理解できます。

それらは、中間層を増やす政策として1990年のバブル崩壊まで行われてきましたが、2000年代以降においては、派遣労働、非正規労働の増加などに代表されるように、「正社員、公務員などの特定の集団の利権を守る」方向にのみ堅持され、集団主義が悪い方向にしか作用していないように私は思えてなりません。

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集団主義の原因

ではなぜ集団主義 の 考えがこの日本国にはびこっているのでしょうか?

それは、このように考える事はできないでしょうか。日本という国は農耕民族で大陸から栽培稲作が伝わってきた時、土地を開墾し、村人総出で、それらの田植えや稲刈りを行っていました。

つまり 集団の行動でスピードを上げて作業しなければ自らの命に関わるという歴史があったことは事実であり、それらの行動様式、すなわち集団主義がDNAに組み込まれているのではないでしょうか。

しかし、農業が機械化されると、それで必要であった集団主義の必要性は薄れ始めたはずです。しかし社会における日本の集団主義のマインドは全く変わっていません。

本来、集団主義は技術と理性によって克服されるべきものでしたが、それが未だに、稲作が伝わった3000年前と何一つ変わる事なく続いています。

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集団主義は時代に取り残された思想

現在でも、それら集団で行っていた稲作文化が全く抜けきっていない、まるで「会社が米を作っている」かのような状態です。

それらの集団性は日本人のDNAに刻まれた部分を社会が悪用していると見る事も出来ますし、稲作文化時代から全く日本人の精神の根底は進化していないとも見る事もできます。

先の大戦において日本は世界でも類を見ない自爆攻撃を多数行いましたが、それらは集団主義の究極の結果として見ることができます。

また、戦後の高度経済成長期も、集団主義における生産能力の向上によって物量的に世界を圧倒した事に他なりません。それらには全て集団主義が関わっていると考えうるでしょう。

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集団主義の害悪としての現在の日本社会

さて再び21世紀の日本に戻ります。集団主義は20世紀のある時点までは それでよかったのかも知れません。

日本が製品の輸出者であった時代は、右にならえで全員が工場で何らかの製品を作る、そしてそれを輸出する産業が社会の富を形成し、社会の発展が成り立っていたのですから。

ところが世界の工場は中国になり、そして、日本の製造業は壊滅的ともいえる状態です。

確かにトヨタの自動車などの分野は分野はまだ若干強みがありますが、それしたところで自動車メーカーにとって都合のよい消費税どうにゅうなどの政治の庇護下において成り立っているようなものでしょう。

消費税は「輸出をする産業」においては、「製品を輸出した場合」、その製品に対して「消費税相当分」が国家より企業に返還されます。 つまり、消費税率が上がれば上がるほど自動車などの輸出分野は儲けを出します。

なぜ経団連などが消費税をゴリ押しするのか、それは消費税は輸出産業にとっては極めて都合の良い制度だからです。

集団主義の次に求められる思想とは

さて、では集団主義を「脱しなければならない」社会において必要とされる考え方とは何でしょうか。

それは、自分が個人として社会をどのように捉え、そして、どのようにその社会と対処して生きていくのか、ではないでしょうか。もちろん学校の教員はそのような事を教えないでしょうし、教えることもできないでしょう。

日本の集団性は3000年前から全く進歩していないと理解する事によって、これから自分はどのように生きていかねばならないのかを考える際に大きなヒントになるのではないでしょうか。

今はインターネット自分で調べる気さえあれば、どのような状況でも知識を得る事ができるのですから。

しかし、それでも変わらず日本人は集団主義を受け入れるでしょうし、それは今後も変わることはないでしょう。それが明らかな失敗であると分かっているにも関わらずです。

とはいえ、3000年前の人と同じような行動してもしょうがないのですから、我々は新しいマインドを自ら切り開く必要がある時代に差し掛かりつつ有るのかも知れません。無論、それは大いに困難を伴うことかも知れませんが。

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