
そもそも、私のブログ自体が、おそらく保守、右派の人々から見れば赤色ブログと言われかねないようなブログ内容かもしれませんが、ただ、私は共産主義については絶対的に否定します。
共産主義で一番有名な存在といえば、スターリンと、あさま山荘でしょうか。そのどちらともが悲惨な結末を迎えています。
もちろん、それは共産主義者にとってはそれらの人物達は思想的に間違いであったのでしょう。しかし、彼の根底にある思想は共産主義であり、その共産主義を利用して、彼らはそのような人類史上に残るような悲劇的な行動を行ったのも、事実です。
共産主義とリベラルの違いとは
厳密に定義してしまえば、色々と考え方の違いのはあると思うのですが、少なくとも私の考えている共産主義とリベラルの違い者は以下のような考え方であると認識しています。
共産主義
議会政治の否定(議会によらない体制変革=暴力革命)
資本主義の否定
リベラル
議会政治の肯定
資本主義の肯定(法律による格差等の最小化)
もちろん、共産主義とリベラルの間には社会主義や民主社会主義、そして、社会民主主義など様々な構成の段階が存在する事は私は十二分に理解しています。
しかし、私は資本主義自体を否定するつもりはありませんし、あくまでも現在の社会の平和的な手段による改良を求めてこのブログを書いています。
決して現在の社会の破壊や暴力的な変革を望んで書いているのではありません。
それは、もう共産主義ではない
とはいえ、現在の日本共産党存在を見てみると、それは共産主義ではなく、せいぜい社会民主主義といった考え方に見えてしまいます。
ちなみに、社会民主主義とは、「議会による経済体制の変革を用いる社会主義」と私は理解しています。
現代の社会において、「共産主義」の意味に最も近い存在とは、過激派と呼ばれる者達の存在ではないでしょうか。彼らは本気で暴力革命を信じ、共産主義を信じているのですから。
とはいえ、彼らは全く現在では影響力を失いつつあり、自分達の存在の延命に汲々としているのが現状でしょうけれど。
また、日本共産党よりもさらに左側の者達から言わせると、「日本共産党は共産党の名前に『日本』をつけるとは何事だ!」という感覚らしいです。
彼らからすれば、共産党とは、全世界でひとつの頭しか存在してはならないのです。
それは、「共産主義は世界を統一する存在であるため、共産党はひとつでいい」、そんな考え方に基づく主張のため、です。
もちろん、私は共産党も、それよりも左の存在の人々にも賛同できませんが。
一国共産主義とマルクス主義の曲解=宗教化
共産主義にの最大の不幸とは、自分達の考えこそが絶対唯一の正しい考え方である、からだからこそ、他の主義は認めない主張に繋がります。
それらの根底にある「自分たちの正義の絶対性」が共産主義の最大の問題ではないでしょうか。
それれがゆえに、「宗教的な情熱」として、共産主義の正当化事が起こります。また、皮肉な事に、自分達の正義を信じるがゆえに、同じ共産主義にありながら様々な分派ができ、さらに、その分派同士がお互いにいがみ合い、そして、最悪の場合、物理的衝突さえも行う状態になっているのです。
日本共産党におけるトップ人事は、何年か代表者は変わる事はありません。もちろん、代表がコロコロと変わる事自体が良いとも思いませんが、本当に党内での健全な議論が行われているのかについては、甚だ疑問を持たざるを得ない面がある事も事実でしょう。
確かに共産党が戦前、戦時中に弾圧された事は認めるが
それは記憶として残すべきであり、それを金科玉条のごとく振り回すべきではありません。
無論、それらの事実は事実で伝えるべきではあると思いますが。
現実的には、戦前、戦中の日本共産党はソ連のコミンテルンつまり、実質的にソ連の共産党の下部組織のような働きを行おうとしていたのですから。
それは当然日本の為政者、軍部にとってみれば「テロ予備軍」として目の敵にされて当たり前とも言える事ですから。
日本共産党は解党的出直しをすべきだ
正直、「共産」との名を関する限り、今後の飛躍的な発展は困難でしょう。
思い切って、改名を行い、共産主義を放棄したほうが中長期的には社会に対し、貢献する可能性が大きいのではないでしょうか。
たとえば、日本共生党、など。
また、その結果として、左派と右派が出てきても、それはそれでいいと思います。むしろ、リベラル勢力が「数」を増やす事のほうが重要なのですから。
むしろ共産主義の考え方「さえ」、放棄してしまえば、一般の人々にとってもより良い選択肢の一つとし得る状態になりうるのではないでしょうか。
まあ、日本共産党が日本共生党と党名を変える際には、ゴリゴリの共産主義の人々は党を割り、新しい党を作るのでしょうけれど。
ちなみに現在でも、「日本共産党(左派)」という団体も存在し、活動しているのですが、それについて話が長くなるため、今回は割愛します。
共産党という存在こそが社会の進歩を止めている
事実として、「過激派」の共産同(共産主義者同盟、ブンド)は共産主義を放棄し、環境保護団体になりました。
確かに共産党に所属する人々からすれば、「共産主義」とは、金科玉条の如くの思想かもしれません。しかし、それは世間から見れば「宗教的情熱」とさえ思っていまいます。
それよりは、たとえ部分連帯でも良いため、現状の社会問題を認識し、そこに連帯して取り組める組織への転換への考え方が現在の社会では最も必要とされる事ではないでしょうか。
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