保守という「トレンド」小池知事と保守層、パフォーマンスとしての「改善」

By | 2017年5月19日
conservative-fashion

それは何も問題に対処しないための方法

問題の根本を考えさせないために、保守の看板を掲げ、それを振りかざす、それが保守の一般的な姿ではないでしょうか。

最近、東京都議会において自民党の小池都知事などが旧体制と対決し、かつての小泉劇場のように振る舞いますが、これにしても単なる自民党内の派閥争いに過ぎないのです。

そして、その派閥争いを、さも正義で「新しく」しているかのように見せているにすぎません。

それは利権が誰かに移っているだけ、に過ぎないのですから。

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繰り返される政治的な損失

今の小池都知事にしても、それは国政のバックアップと言えるような行動なのではないでしょうか。

つまり、安倍晋三が不人気になった場合、次は小池百合子の首をすげ替える事によって、自民党の延命をはかるそのために、あたかも正義のヒーローであるかのように小池都知事を登場させる、きわめてわかりやすいプロパガンダの一種であると私は考えています。

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問題を見ず、状況を悪化させる保守

今の社会の喫緊の問題として存在する労働力の不足、少子高齢化の問題はサービス残業などの「企業にとって都合の良い働かせ方」の結果による少子高齢化であり、それは日本社会全体をいびつな形に変えた原因です。

それらを行ってきた自称「保守」の為政者についての責任追及を行わず、そして、何らの改善も行わず保守、などと自称するのは、一体何をしたいのか全く不明です。

保守などと言うのであれば、一般の国民がそれ相応に幸せな生活をし、そして、そのおこぼれを、政治家もしくは公務員が受け取るべきであるにもかかわらず、今の政治や行政を見ていると、まず政治家の利権ありきで政治を行といるように見えてなりません。

いったい誰のための政治をしているのでしょうか?

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大衆迎合主義と思想

政治家達としては、今回の小池都知事に見るような、わかりやすい、そして、旧来の悪をマスキングできるような、しかも、それをテレビでお茶の間で楽しめるワイドショー、劇場型の政治を演出し次回の選挙でも票を集めようとしている事なのです。

これは小泉「構造改革」の時の郵政解散、そして、「改革に賛成か反対」かという、ワンフレーズポリティクスと何ら変わりのない構図ではないでしょうか。

政治的無関心、もしくは政治の風潮に流される者達を「B層」として嘲る言葉がありましたが、本質としては現在の政治も全く、それと変わっていないのではないかと思うのです。

それどころか、18歳選挙制度が導入された事によって、より、その傾向が強くなっていると言えます

最近のいわゆる、ネトウヨなどは、これらは18歳選挙制度と密接に絡みついたプロパガンダと言えるでしょう。

為政者の甘い汁を吸いたい政治屋ども

それらの保守と自称する者達は、愛国やもしくは伝統を守る、などと聞こえのいいスローガンのもとに自分達の利権を必死に守ろうとしている、つまり、保守ではなく利権保守、と呼ぶのが正しい姿なのではないでしょうか。

そもそも保守者がもてはやされる時点で、もはや、その国が衰退の過程にある事をまざまざと示している事に他なりません。

なぜならば、活気のある、成長をしようとする国であるからこそ、自分達の反省点を見つめ直し、直すべき点は直す、そして、改善した事による、より健全な成長を行う事が可能です。

保守勢力とは、自分の国の反省点を省みることができず、自己満足に浸り、そして、その結果として弱き者の声が切り捨てられる、そんな悪循環に陥っている事に他なりません。

その組織循環を断ち切るには、自分達が選挙に行き、自らの声を一票として叩きつける、しか方法はないのですが、そんな当たり前の事ができていない国が現在の日本です。

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