教育に関する自由と責任について 教育を履き違えた教員の役人思想

By | 2017年8月31日
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管理教育による社会的損失に目を向けよ

私はこのブログで管理教育について批判的な意見を書いていますが、そもそも現在の人口減少の社会において、小中学生はともかくとして、高校生になってまで管理教育を行おうとする、それ自体がこの自主的な判断の喪失および個人の権利を抑圧していると考えざるを得ません。

この国は今後人口が減少し、そして、労働力が減少します。その際に、これまでの自動車工場でロボットのように同じような作業を行う人材を作る教育、それはすなわち、管理教育を続ける事による国家的損失は、もはや無視できない者があるのではないでしょうか。

なぜ、管理教育を為政者は行おうとするのか。それは管理教育をする事によって生徒が何か問題を起こした際に、自分達が指導を行っているのだから、自分達には責任はない、と主張するための責任の役人の事なかれ根性が、その背景に透けて見えるのではないでしょうか。

そもそも高校生になってまで、1クラス40なり30人を一つの教室にの中に閉じ込め、一日中同じ生徒同士を共同生活をさせる必要など全くありません。むしろ、単位制にしてしまい、卒業するためにはどのような単位を取るべきかを自分で選択させ、自分で勉強のプランを作成させるべきです。

それこそが本当の自主性の開発であり、時に生徒はは失敗する事もあるでしょう。しかし、それこそが教育の意味であり、失敗を次に繰り返さないために、教員達が生徒のフォローを行う事こそが本当の教員の役割ではないでしょうか。

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高校卒業後に大学にすぐに進学することに対する疑問

また、現在の様な高校に進学し、その後ストレートに大学に進学する、その流れが連続する状態で行われている、こともおかしな状態であると私は考えます。

別に大学に高校卒業後すぐに進学しなくても、高校を卒業し、一旦就職を行い、自分が一体何に興味があるかを判断を行ったのちに大学に進学するという手段は、自分の人生をより広い視野でとらえるために非常に効果的な手段であると思います。

また、大学の学費について、若者が年程度働いたお金で学ぶ事ができる学費を構築するべきです。

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教育こそがこの国ができる唯一の未来への投資

教育こそ、この国の先細りの惨憺たる状況を打開する事のできる未来への、唯一の投資です。その未来への投資をせず、現状維持に汲々となっている者達に政治を語る資格はありません。

現在の教員等の行う管理教育とは、それは教師ではなく単なる監獄における看守でしかありません。そのような者は教育の本来の意味とは全く違う者です。

それらの教育は産業界にとって都合のいい人材、すなわち、上の者に文句を一切を言わず、理不尽な働くの環境であったとしても、受け入れる人材、また、自分のアタマで考えようとしない、もしくは忖度を行う人材を作ろうとしている。

それが現在の教育ではないでしょうか。それは、ただ単にイエスマンを作る産業に教育は成り下がっている、と言わざるを得ない状況でしょう。

この国は教育基本法だか何だか知りませんが、崇高な理念を文章にしていますが、それは現実的には管理教育と生徒の個性と権利を抑圧する教育に終始しています。

また、それらの生徒に考えさせない教育もしくは、上のものに絶対的に服従させる教育はブラック企業における物言わぬ社員を作るための教育であるとする私は考えざるを得ません。

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