カップルはお互いの孤独を肯定する事によって関係はうまくゆく

By | 2017年8月5日
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カップルであっても孤独を肯定しよう

私も今付き合っている彼女も、基本的に孤独感がありません。お互いに自分で生活をし、その上でのパートナーシップを結んでいます。別にカップルだからといって、必要以上にお互いの生活を共有する必要はありませんし、また、お互いの生活を尊重する事は関係性を長続きさせる上で重要な事ではないでしょうか。

男性も女性も、お互いの時間をを独占しようとする、その独占欲がそのカップルの関係をおかしな方向に向かわせる事例を私は多々見てきました。そのため、我々の関係は一見ドライに見えて、それはお互いを尊重する関係を作ろうとしているのです。

これは私達のカップルには全く関わりのないことですが、私の知人などを見ているとカップルとなった瞬間に、お互いのプライベートが全くなくなる、しかも、それをお互いが肯定しているようなカップルが複数見受けられますが、私はそれは全く理解ができません。

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プロパガンダとしての集団主義のもとの家族主義

そのような人々は、社会がプロパガンダとして流す理想のカップル、理想の夫婦像、それら、為政者側にとって都合のよい理想のカップル像を無条件に肯定し、受け入れているのでしょう。

それは今の日本の問題の根底にある、集団主義、もしくは、滅私奉公的な価値観を受け入れている、つまり、ブラック企業の社畜になるには十分に資格があるような人々に思えてなりません。

どのような人間性の関係であっても、互いの時間を尊重する、それは人間の関係において最も重要な事なのではないでしょうか。

どのようなカップルであったとしても、お互いに良い部分もあれば、悪い部分もありまそれらについて、必要であればお互いの「時間」を尊重することにより、問題の解決、関係性の好転を図り、必要であれば距離をも保ち、そして、お互いが経済的独立を保つ、それは良好な関係を続けていくうえで絶対的に必要な事ではないでしょうか。

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社会的責任の個人への押し付けとしての家庭

ここまで男女関係を例として書きましたが、これは社会的な孤独についての考え方と等しいのではないでしょうか。一人での行動が、それが決して好ましくない行動として社会全体から考えられていることの原因は同じものであると考えます。

無論、少子高齢化問題とは、カップルがあり夫婦があるからこそ少子高齢化が解決される観点は理解できます。

しかし、現実的には、教育の無償化また、児童保育の無料化などの、本来社会が子供を育てるためのバックアップを、すべて個人の責任に押し付け、矮小化して考えているのが現在の社会と見えてなりません。

お互いが独立し、その上でのパートナーシップを結ぶ関係が構築できないカップルは早かれ遅かれその、関係性に不健全な影響が及ぶと私は考えます。

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