Amazonを嫌うべき理由
私はAmazon大嫌いです。
なぜブロガーアマゾンの問題を黙殺せざるを得ないか、それはAmazonが提供しているアフィリエイトがブロガーたちの少なからぬ収入となっているからです。
ブロガーたちにとって、Amazonについての問題点を指摘できない構造的な問題がそこに生じているのです。
そもそもブロガーの多くが、この商品いい、このサービスはいい、とヨイショ商売をしているのです。その大元たるAmazonに対してモノ言えない事は明白な事です。
しかし、それ自体がこの国の文化的衰退を産んでいることにほかなりません。
もっとも、私はブログを文化などとは全く思いませんが。
とはいえ、アマゾンは文化的に非常に致命的な状況を作り出しているのではないか、と考えています。
私自身はAmazonを利用しようと思いません。
会社で色々な備品を買う事があるのですが、極力、可能な限りAmazonは避けます。
まずはアスクルなどを探し、やむを得ない場合は楽天、どうしてもやむを得ない場合のみAmazonを利用しています。
そのレベルでAmazonを利用したくありません。
私は決して国粋主義者なのではありません。しかし、自国の文化を破壊する企業に対しては、それを利用しないボイコットという行為を持って抗議を行うものです。
私の取引先でAmazonで小売を行っている企業が存在し、そこから様々な話を聞くのですが、本当にAmazonのやりたい放題は目に余ると聞いたことがあります。
手数料の勝手な値上げ、何のヒアリングもない勝手な仕様変更など、アマゾンに依存すればするほど、その危険性は重大なものとなります。
Amazonは文化を殺す
それは、あくまでも商売の立場での危険性となりますが、根底的には、Amazonは文化を殺している、と言えるでしょう。
アマゾンで破壊したものとして小売店舗の破壊があります。
確かに私も人の多いゴミゴミした小売店に行くのが嫌いなので、通信販売が発展することについて、必ずしも反対をするものではありません。
しかしAmazonは書籍さえも破壊し、そして書店をも破壊しようとしています。
それは、文化の破壊です。文化の破壊とは、その国の知的レベルを貶める、つまり、ある意味での文化的な植民地化、とさえ言える行為でしょう。
皮肉なことに、その植民地化に協力する者たち、すなわちブロガーたちが、あることないことを書きし、そして検索エンジンの先頭に出ることを目的とした、どうでもいいテキストを書き散らす行為を自らのアフィリエイトの小銭目的のために行っています。
それ自体が文化の破壊であり、Amazonという企業は、それらのブロガーたちに小銭をばらまくことによって、文化破壊を推奨しています。
つまり、アマゾンはあらゆる仕掛けを作り、この国の文化を破壊しているとさえ言えるでしょう。
文化破壊に対して業界団体は一致団結せよ
そのような状況下において書籍業界の全体、すなわち新刊書店、古書書店、の両方が一体となって取り組むべきことではないでしょうか。
まず業界で、そのような通信販売のプラットフォームを作るべきです。それは損得という考え方ではなく、この国の文化を守るという点においてです。
確かに出版社にはいわゆるネトウヨ系出版社と言われるものからバリバリの左側の出版社まで多数あります。
しかし自分たちの活動環境を外国資本によって破壊される行為については、右も左も、まずは自分達の主義主張はさておき、自分たちの存在する業界の健全なる維持管理のため、ともに協力できる点は協力しても良いのではないでしょうか。
そうしなければ自分達の存在そのものが脅かされかねないのですから。
業界団体の生き残り方法の一例として
何なら、最初はAmazonのコピー的なプラットフォームでも良いと思います。
そこに、いかにして多くの出版を巻き込んでいくか。そしてAmazonを利用することの危険性を周知徹底していくか。それだけで、この国は随分とまともな文化状態に戻るのではないか、と思います。
また、そこに新書、古書の小売業者を巻き込むためには、低廉な手数料であるべきは、当然です。
つまり、あくまでも文化を守るという側面に特化したプラットフォームであるべきです。
無論、商売ですから、赤字では行えませんが、最低限の利益で、あらゆる業者が参加を促すことを最大の目的とする考え方です
また、可能であれば中継ぎなども、何らかの形で入ることができればより幸せとなるでしょう。
私は国粋的な意見で、これでらの意見を主張しているのではありません。
自国の文化を守るとは、それは右左関係なく真剣に考えなければならない事実です。
失ってしまった文化を後になって嘆いても、後の祭りに他ならないのですから。
とはいえ、そのようなプラットフォームを作るとなった場合、お偉方の醜い利権争いに終始することは目に見えていますが。
とはいえ、私がこのよう記事を書くまでもなく、もし、この国の文化に対し、心ある人が一定以上、存在していたのであれば、Amazonの躍進など、ありえなかった事ではないのか、と思わざるを得ませんが。
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