衰退する社会の具体的事例の考え方として、2000年代以降の事実を考える

By | 2018年1月20日
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この国は衰退している

結論から書くと、この社会は衰退しているがゆえに、自分の生きたい生き方を突き詰めておけば良いのではないかと考えます。

つまり、もはや企業と社会の成長神話者が成り立たないどころか、維持すらできない社会が、いずれ近い時期、おそらくは10年以内程度にはそれが現実の社会となるでしょう。

その場合、これまでの成長神話に基づく価値観者が根底から覆される可能性があります。

企業に属し、そこで滅私奉公をする事によって自分の人生がより豊かになる生き方、そんな考え方そのものが成り立たなく時代が、近づいているのです。

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衰退が当たり前の社会へ

この社会の衰退への対応方法としては、「今の生活が決して当たり前ではない」、そんな時代が当たり前に近づきつつあると認識する事が重要でしょう。また、社会衰退の意識を常に自分の考え方の根底に置いておく事ではないでしょうか。

結婚をして、子供を持つ、その子供が私立中学校、そして、高校などに入れそして、良い大学に入れる、良い企業に入る、それらの話の前提は、全て日本社会が発展もしくは、維持をできていた時代の話に過ぎません。

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庶民から貧しくなる社会

簡単に言ってしまえば、この社会はより貧しくなります。そして、より貧しくなる社会の中で為政者、もしくは為政者の付近にいる者達は自分達の既得利権を守るためにありとあらゆる手段を行うでしょう。

そのヒントとなるべき事例は去年、取り沙汰された森友学園、加計学園問題です。

権力者の周りにいる者達はなぜか無罪放免、その一方では現在も籠池夫妻は何ヶ月も保釈すらされませんでした。無論、それはある種の見せしめなのでしょうけれど。

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衰退の現在進行形としての歴史の考え方

特にそれは2000年代を原点として現在の2018年を考えた時に、日本国は一体どれだけ衰退をしているか、その事実を考えた場合、社会衰退の流れの答えを容易に見つけることができるでしょう。

その期間に起こった事とは、パナソニックやNEC、東芝などの企業の大赤字、そして、身売り、それらは20世紀では考えられもしない事が起こりました。

また、2011年の福島第一原発における原発の爆発、そして、それが原発の爆発大惨事を招いたにも変わらず誰一人逮捕される事もなく処罰される事もない。

また、それらの2000年から2018年の間に起こった事の根底にあるものを考えること、それは今後の日本の暗澹たる未来への未来予測の手がかりと言えるでしょう。

 

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