絶望文学こそが日本には似合う 第二の太宰治を生み出す土壌としての社会

By | 2017年12月11日
despair-literature-japan

絶望文学こそ、日本に似合う

現在の日本の衰退を文学という切り口ではなく、自分の実生活に結びついた社会衰退として淡々と記録すれば、この社会の崩壊過程をリアルタイムで記録したノンフィクションの作品として後世に評価されるのではないでしょうか。

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なぜブロガー達はカラ元気の威勢のいい事ばかりを書きたがるのか

そこにはアフィリエイト狙いのカネありきの記事だからです。

そのように書かなければ、フォロワー達がついてこない、もしくは、自分のサイトからモノやサービスを買わせる事ができない。一見、ポジティブな「おすすめの商品」などの記事は、それは実のところは自分の小銭欲しさから書いている記事にすぎない事が多々あります。

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テーマは中間層の破滅と社会腐敗

この日本国は現在進行形で没落を行っていると私は認識しています。その没落をインターネットでは正面から使わず、その代わりに小銭ありきのアフィリエイター達が、「この商品がいい」「あのサービスがいい」とはやしたています。ある意味、ではそれは衰退期の国家におけるカラ元気としての事象と捉える事は可能ですが。

今の学生の世代などは非常に就職がしやすいと言われます。しかし、ではなぜ就職がしやすいのか?

それは、いわゆる「失われた世代」に全ての犠牲を転嫁した事による、社会的無責任の結果としての構造でしかありません。没落国家における世代の分断、それらを正面から捉えようとするメディアはブログを含めてもあまりにも少なすぎるのではないでしょうか。

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希望は、ない

斜陽の国家としてイギリスがありますが、彼の国は伝統があります。それに対し、日本は新興国家の衰退であり、全く状況が異なります。

先の対戦の末期において日本は「本土決戦」などと、破れかぶれの主張を展開し、その結果として多くの若者を犠牲にさせました。この国が現在陥ろうとしているのは経済的な敗戦状況であり、敗戦目前であるにもかかわらず、その根本を直視しない為政者達は自分の持っている利権をさらに拡大しようとしている、そんな光景が現在,日本では繰り広げられているのです。

それは視点を変えると、この国衰退を楽しむ、という見方もできるかもしれません。日本国家の衰退とは、非常に面白い文章の題材となり得ると私は考えています。

今後、この没落する国において、生き残るための方法とは、一時的な金稼ぎの方法や、商品を買う事ではなく、自分がいかにして縮小、没落していく経済に対応する事のできる技術を身につけるか、そして、自分の存在のあり方と社会の対比を見つる事に他ならないのではないでしょうか。

そのような視点で日々をシニカルに観察するブログは、第二の太宰治とも言えるような、文学的な新しい潮流になりうるかもしれません。

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