
絶望文学こそ、日本に似合う
現在の日本の衰退を、自分の実生活に結びついた社会衰退として淡々と記録すれば、この社会の崩壊過程をリアルタイムで記録したノンフィクション的な文学作品として後世に評価されるのではないでしょうか。
少なくとも日本経済とは戦後においてバブル崩壊までは概ね右肩上がりの成長を繰り返してきました。
しかし、その後失われた20年を経て、今の日本に残されているのは緩やかな衰退もしくは、緩やかではない、目に見える衰退のどちらかでしかありません。
事実、そのように目に見える衰退とは、不動産価格の暴落や、サブリースにおける不動産業者の腐敗などによるモラル的な問題として今我々の目に明らかになっています。
本来、そのように衰退していく社会を論じるためにインターネットは最適なメディアであると考えています。なぜ、ならばリアルタイムに記録し、どこの誰か事を明かす事もなくの自分の好き勝手に書く事ができるのですから。
とはいえ、今、ウェブ上で検索をすれば、小銭稼ぎ目的のためのアフィリエイト目的のテキストが検索結果の先頭に来る事が多くなっていますが、それも「文化的退廃、絶望」を飾り立てる要素とさえ言えるかもしれません。
なぜ、ブロガー達はカラ元気の威勢のいい事ばかりを書きたがるのか
余談となりますが、なぜブロガーたちは威勢のいいことや、物を知った「よう」に書きたがるのでしょうか?
ブロガーたちはアフィリエイト狙いのカネありきの記事だからです。
そのように書かなければ、フォロワー達がついてこない、もしくは、自分のサイトからモノやサービスを買わせる事ができない。一見、ポジティブな「おすすめの商品」などの記事は、それは実のところは自分の小銭欲しさから書いている記事にすぎない事が多々あります。
少なくとも私はウェブサイトを見ていてアフィリエイトリンクが剥がれているおすすめ商品などについては一切の信用を行いません。
つまり、アフィリエイトが掲載されている時点で、その記事やテキストは小銭稼ぎのために書かれたものとして認識をせざるを得ないのです。
テーマは中間層の破滅と社会腐敗
日本は現在進行形で没落の途上にあると私は認識しています。
その没落をインターネットでは正面から扱わず、その代わりに小銭稼ぎのアフィリエイター達が、「この商品がいい」「あのサービスがいい」とはやしたています。
ある意味では衰退期の国家におけるカラ元気としての事象と捉える事も可能ですが。
今の学生の世代などは非常に就職がしやすいと言われます。しかし、ではなぜ就職がしやすいのか?
それは、いわゆる「失われた世代」に全ての犠牲を転嫁した事による、社会的無責任の結果としての構造でしかありません。
没落国家における世代の分断、それらを正面から捉えようとするメディアはブログを含めてもあまりにも少なすぎるのではないでしょうか。
先にも書きましたが、ブログとは多くの場合、物を買わせる事によって自分の小銭を得るためのメディア、と捉えている人があまりにも検索の先頭に表示されすぎです。
彼らは、社会的な問題を書いたところで全く自分の収入には繋がらないのですから、今日も威勢のいい、物を知ったようにテキストを書き続けるのでしょう。
希望は、ない
斜陽の国家としてイギリスがありますが、彼の国は伝統があります。それに対し、日本は新興国家の衰退であり、全く状況が異なります。
先の対戦の末期において日本は「本土決戦」などと、破れかぶれの主張を展開し、その結果として多くの若者を犠牲にさせました。
この国が現在陥ろうとしているのは経済的な敗戦状況であり、敗戦目前であるにもかかわらず、その根本を直視しない為政者達は自分の持っている利権を死守し、あわよくば、さらに拡大しようとしている、そんな光景が現在、日本では繰り広げられているのです。
持てる者はさらに豊かに、貧しい物はドン底の貧しさに、そんな新自由主義の政策が推し進められているのも衰退の一因です。
視点を変えると、自分の生きる国が社会的衰退している事実を認識し、そこに立ち向かって行くのであればこの国の衰退過程を楽しむ、という見方もできるかもしれません。
日本国家の衰退とは、非常に面白い文章、文学的な題材となり得ると私は考えています。
ちなみに、今後、この没落する国において、生き残るための方法とは、一時的な金稼ぎの方法や、商品を買う事ではなく、自分がいかにして縮小、没落していく経済に対応する事のできる技術を身につけるか、そして、自分の存在のあり方と社会の対比を見つる事に他ならないのではないでしょうか。
それがブログなどで語られるようなカラ元気としての「便利な商品」や「便利なサービス」買う事ではなく、生きるためのスキル、すなわち、自炊の能力や自分の自転車やバイクを治すDIY能力、それらの能力を身につけることではないでしょうか。
そのような視点で衰退していく日々をシニカルに観察するブログは、第二の太宰治とも言えるような、文学的な新しい潮流になりうるかもしれません。
どちらにせよ今後、日本人は、この国が衰退している事を嫌と言うほどを実感せざるを得ない時が来るのは確実です。
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