社会的な人質としての子ども、劣化する社会での子どもとパートナーとの関係

By | 2018年12月22日

自分の状況を詳しく書くつもりは一切ないが

もちろん、言うまでもありませんが、私はブログ上において、私が結婚しているか、私の性別が男女どちらか、そして、子供がいるか、などは一切書くつもりはありません。

それらの情報を嬉しげにポンポンと公開してしまうのは悪意を持った者達に付け入る隙を与える事に他ならないと考えています。

そのため今回のブログは、一体どのような立場で書いているか、については、かなり、ぼかした書き方をしています。

この記事では、現在の社会における子どもを巡る社会環境が明らかにおかしな状況である事について記述をしたいと思います。

私もパートナーも、子供をそろそろ持っていいのかな、との空気的な合意はあるのですが、では、実際に子供を持った場合、今の我々の生活が、今の形とは異なる形式になる事は確実な事です。

本来、子どもは社会の未来への希望である

私は子供とは社会社会の未来への希望であると考えています。

つまり、社会は無条件に子供を受け入れ、両親が「いざ」となった場合、子供を育ているのは社会である事を、社会が積極的に証明をするべきであると考えています。

しかし、現実的にはどうでしょうか。

社会は子供を、まるで人質のように思っているのではないか、とさえ思わざるを得ません。

子供がいるから転職が行いづらい、その結果、ブラック企業が蔓延っていることも、ある意味では事実でしょう。無論、根底には立法、行政の無為無策があるのですが。

また、それとは全く別になりますが、会社において産休が非常に取りにくい問題もあります。

私も、パートナーも中小零細の企業に勤めているため、お互いに、果たして妊娠をした場合、会社に日に産休を認めさせる事ができるのか?

もちろん、法律的には、私はいかなる手段を使ってでも産休を認めさせるつもりです。

ただ、その後の人間関係が果たしてうまくいく事ができるのか、そのような問題も現実的にあり得ます。

本来、産休は日本の将来を担う子供達を育てるための期間であり、それを企業が負担するのは当然です。

なぜならば、今の企業はパートや派遣労働、期間従業員などの「企業にとって都合のよい働かせ方」を立法、行政ぐるみで行っているのですから。

そのような劣悪な環境下で「子供を作ってもらえる」状況に対して企業が、それらの妊婦のバックアップ、特に経済的応援を行う事は当然のように思えてなりません。

しかし、それにも関わらず、パワハラやセクハラなどによって従業員を退職に追い込もうとする現実があります。

それらの「社会の将来の希望の芽を摘み取る」行為については、厳罰をもって取り締まり、実刑をも含めた社会的な処罰を与えるべきである、と私は考えます。

しかし、現実的にはそのようなことは絶対にないでしょう。

本来、このような問題については、労働基準監督署が積極的に社会正義の実現として、見せしめ的な懲役刑をも含めた労基法の厳格激用によって対処しなければならない筈ですが、何一つとして実行的な動きを見せようとしていません。

子どもを作らない、という選択と現代社会

別に子供がいなければ、いないで、それはそれで楽しい生活と思うのです。

この国において子供の扱い者は現実的には人質に他ならない、と思えてなりません。

つまり、子供がいるから学校に行かせる、そして、今、学校でのいじめを恐れ、社会的な活動がしづらくなる、または、物が言いにくくなる。

もしくは、公的な教育がマトモではないから、子供達を塾に通わせなければ「良い学校」に行くための教育が受けれない。

一方、公立の教員達は「波風を立てない」事を最優先課題とし、原理原則を貫き、無意味な校則と無駄な行事の「伝統」とやらを守らせようとします。

その他方で、いじめなどは教員たちは見て見ぬふりをする、一体、どこの発展途上国なのでしょうか。と思うのです。

結局、社会の建て前がいくらご大層な建前であれ、それらの建前の矛盾が出て来るときは、一番弱い者に押し付けられるのです。

つまり、一番弱い者とは子供にほかなりません。

子供がいるから家を買う、そして、家を買うから会社を辞める事ができない、会社を辞める事ができないから、企業はブラック企業化する。

そして、労働基準監督署は、そのブラック企業化している社会を見て見ぬふりをする。

一方、徴税業務は源泉徴収錦の御旗、そして、消費税という悪魔の打ち出の小槌、それらを駆使する事によって、いくらでも庶民から税金をかき集める事ができる、そんな負の循環サイクルが、この社会では成り立っているのではないでしょうか。

果たして、今、我々、少なくとも私とパートナーの生活で満足している中で、子供を作らなければならないのか、との根本的な問題さえ、考えてしまうのです。

実は、この問題については、私一人が思っているだけではなく、パートナーも同様の矛盾だらけの考えですが。

将来の暗澹たる社会と子ども

今は若い世代、私も若い世代なのかも知れませんが、は、車も持たず、または、軽自動車に乗り、そして、スマートフォンにお金を費やす事をしています。

それらの世代は現在の社会矛盾の欺瞞に気づいたときに、子供さえ持たない社会的状況になるのかも知れません。

もしくは、そうならざるを得ない社会が到来しつつあるのかもしれません。

とはいえ、そのような社会が近未来に到来したところで、この国の為政者達は外国人労働者を大量に大量に導入すれば、社会が回る、と本気で信じているのでしょうけれど。

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