それは、おかしい社会の兆候では
現在の社会において、受験生の母親達は自分の息子や娘の頭がよければ、医学部に入学させようとする風潮が非常に強いと聞きます。
良い大学に入るために小学生の頃から塾通い、それが果たして「正常な社会」なのか、と私は考えます。
しかし、私はここで提起したいのですが、なぜ、医者になろうとするのか、それは生活の安定性や、高齢化する日本社会において、将来的に食いっぱぐれる事のない職業である事が親の希望としてあるのでしょう。
同じく公務員に対する憧れと、同じたぐいの考えかたも知れません。
しかし、医者の公務員も、その両者ともが既得権益を持ちつつ税金で食っている存在ではないでしょうか。
もちろん、医師について、美容整形などの完全な自費診療も存在する事も、認めますが。
しかし、多くの場合、医者も税金で飯を食べている存在にすぎません。
医師の年収を下げろ
そもそもの彼らの「目標」の医者という職業ですが、なぜ、そのような高給を彼らは受け取るのか? それ事自体にまず疑問を投げかけるべきではないでしょうか。
確かに人間は高齢化する事によって老人は病気にかかりやすくなります。しかし、現在の医療は、延命を事を第一の目的とし、植物状態になった人間を本人の意思も確認する事もなく、ひたすら延命を行うなど行為が実際に生じています。
今の日本において果たして長寿がめでたい事なのか、という根底的な問題もあるでしょう。
私は必ずしも長寿=幸せ、であるとは思いません。長寿がはめたいと言われていたのは、今のように医療技術が発展していなかった時代において、平均寿命が短かった時代の長寿はめでたい、という考え方でした。
それが現在では医療技術の発達により、高齢化が当たり前の事になろうとしている。むしろ、それよりは、いかにして自分の人生を幸せに過ごすか、という事に着目されて然るべきではないでしょうか。
そのような中で、医師が税金を使って我が物顔で高収入を得ている。しかも、医師のさじ加減ひとつによって投薬量の増加や無駄な検査などを行い、自分の収入を増やそうとする。
「医は算術」などと口悪く言う言葉がありますが、まさしく、それが日本全国で当たり前に進行しているのではないでしょうか。
むしろ、それよりは人間らしい最期を迎えるためにこそ、医者は存在するべきではないでしょうか。
衰退する社会には、衰退する社会に対応した医師が必要とされます。それを利権にゴリゴリに固まった医師達は直視する事ができないのでしょう。
衰退する社会で医療は衰退を加速させる
日本医師会は利権団体であると言われます。
なぜならば、医師たちが集団を組む事によって、老人に接する機会の多い医師が老人に対し政治的な影響力を駆使できるがため、政治的発言力が強い、などと言われます。
医師は「命を尊重する」などと言いつつ、そこに存在するのは医療利権であったり、医薬品利権、介護利権など、「延命させるための理由付け」は現在の利権的を保守するための利権の構造を考えざるを得ません。
つまり、非特権的な存在情報社会ぐるみで作ろうとしている事がその根底にあります。
その一方弁、護士は法科大学院の導入などによって弁護士の数が増え、弁護士の収入が下がってきているといいます。
しかし、弁護士の収入が下がってきている事が本当に悪い事なのでしょうか?
それは弁護士がより身近な存在になる事の表れでもあると思うのですが。
もちろん、日本の弁護士会は、それらの、自分の年収が下がる事に対して必死に抵抗を試みている状態があるのは、言うまでもありません。
つまり、それらの利権構造に食い込もうとする者達が、その門戸を閉ざす事によって、より競争倍率を高め、そこに入るために学生達が私立の受験競争を繰り広げている構造です。
暗澹たる将来社会の医療界
とはいえ、現実的には、今のような潤沢な医療費が今後、日本社会が払う事が「できる」のかは疑問ですし、また、それを「払う意思」が、そもそも存在するのか、について極めて疑問に思わざるを得ません。
年金の支払い年齢を、この国は何の躊躇もなく引き上げたように、いずれは老人に対する自費負担の負担割合を引き上げるでしょう。
つまり、個人の医療費の支払い金額が増大していくでしょう。そうなった場合、医療は今の社会と同じように、低所得者向けの医療と高所得者向けの医療とに分離していくのではないでしょうか。
つまり、医療自体が二極化していく可能性すら出てくるのではないか、と考えます。
本当に求められるべき「よい医師」とは
ちなみに余談となりますが、今後、本当に良い医師とは、人生における、安らかな最期を与える存在と考え得るのではないでしょうか。
自分の金の為に無駄な延命を繰り返す、そのような医師は社会的にも、個人の生き方の上でも、好ましからざる人物として認識されるべき時期が近づいているのかも知れません。
人生の最後の締めくくりとは、自分は良い人生を過ごしてきた、と自信を持って自分の人生を振り返る事ができる事こそが、良い最期を迎えるための条件であると思います。
では一体現在の社会はどうでしょうか。ブラック企業が満ち溢れ、そして、サービス残業は満ち溢れ、そして、政治家達は不敗の極みにあります。
そのような社会において、とてもよい最期を迎えることができるとは考えられません。
そもそも論で、社会がまともに機能しないのですから。そこで必要とされなくなった老人達がまともな最期を迎えるとは、とても考えられる状態ではありません。
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