2016年11月23日記述 2016年11月25日追記
2016年11月22日の地震の影響
昨日の地震でバタバタしていました。私もかなり仕事に影響が出て、困ったものです。
昨日の地震でテレビを見て、非常に大げさな表現命令口調が気になりました。それらは人々の危機感を呼び起こすには良い表現なのかもしれませんが、それだけ大げさな表現をしても、実際の津波はまったく大した事はなかった、というのは皮肉です。
なぜ強い表現をするのか、その思惑
NHKや民放が、それほど強い表現をしなければならないのは、これまで津波が来る、津波が来る、とオオカミ少年のように何度も言いふらし、そして実際には津波は来なかった、それが何度も繰り返され、最悪の結果としての3.11の悲劇が生じてしまった。それであるが故に、さらに強い表現になってゆく、その繰り返しです。
「津波が来る!」と、テレビやラジオは言いふらしますが、それはが考えてみると、もし万が一、本当に津波が来た場合、それに対し自分たちの責任問題が問われる、と考える役人根性がどこかにあるのではないでしょうか。
役人は、その責任を問われるのが怖いが故に、積極的に津波警報を出そうとする、そしてそれが当たらないから誰も逃げない、そしてその結果が3.11の悲劇。
実際に被害をもたらす津波が来ようと、そうでなかろうと、「津波が来る、と言いました」と主張するための役人の責任逃れとしての津波警報に思われてなりません。
本来あるべき津波警報の姿
気象庁は、津波警報は今まで何回出して、それが実際にどれだけ当たったか、そのデータすぐに公開するべきではないのでしょうか。
おそらくそれを公開すると、「警報」に該当するデータで本当に当たったのは数パーセントというレベルなのかもしれませんが。
そもそも現在の津波の予想、地震の予報はほとんど当たっていないという事をまず認め、そして謝罪した上、でそれでもなお、津波警報を出しています、というように認識を変えて行かないと駄目なのではないでしょうか。
結局、今のままでは、狼少年が「狼が来る!」と連発連呼しているだけに見てしまいます。
津波については、海上に津波の高さを観測する観測施設をGPS などを利用して全国に作る、もしくは有人監視カメラなど設置してゆく、など、100%に近い「警報」を出すことを目標とすべく、実効的な対策をとらなければ、いくら強い表現をテレビやラジオで垂れ流したところで、 より声の大きな狼少年を再生産しているに過ぎません。
地震だ、津波だ、避難しろ、と叫べば人々の目先の問題に注視させ、思考を停止させることができるのかもしれません。しかし、それは単なる根性論、そして、役人の責任回避、そしてオオカミ少年としての悲劇の結果としての3.11にしか見えません。
実効的な、誰の目にもわかりやすい、そして「実効性のある」津波、震対策が今、早急に求められるのではないでしょうか。
「お上」を疑わない国民性 3.11から何も変わらない
それらの「お上の言うこと」を疑わないのが、この国の最大の問題なのです。
「お上」の言うことを聞いて、そして「お上」が声高に叫ぶと、国民はそれはそれを無条件にも信じてしまう。それは3.11から何が変わっていない、この国の状況に思えてなりません。津波警報を信用しない、とはいいません。しかし、あまりにも的外れな警報、そしてそこに透けて見える責任逃れを疑わざるを得ません。
![]() ![]() ![]() |