東日本大震災の際に考えていた将来予想
かつて書いていたブログ(削除済み)の過去ログに、8年前の3.11直後に私が予想した世界観がを書いてたので掲載します。
2011年3月12日当時の未来予想
- 原発後遺症の白血病などの多発により、現在の延命治療中心から苦痛を除去する治療に移り変わる。
- 同上の理由により、痴呆老人に対する扱いも現在とは変化し、安楽死が認められる。
- 「死」が絶対的に忌諱するものから最終目的地へと意識変化する。
- 東京一極集中のリスクが指摘されるようになる。
- 社会の考え方が変わるかも。これまでの滅私奉公、経済活動最優先の考えではなくなる。より個人を尊重する考え方が主流になる。
- 社会、会社が個人にとっての絶対的なものから「生きるためのシステム」への認識への移行。
- 原発は全廃される
はい。ほとんどハズレです。
なぜ外れたかをいちいちは検証しませんが、「利権の死守」という言葉だけで十分でしょう。この国は、どんな自然災害が起ころうと、「利権だけは死守する」、そんな社会なのでしょう。
唯一、正解に近いのは「もんじゅ」の廃止決定くらいでしょうか。まあ、あのような危険な施設が地震の直撃を受ければ社会そのものが崩壊することは目に見えていますので、廃止が決定したのでしょうね。社会が崩壊すれば利権も無に帰すのですから。
私が予想していた、尊厳死や安楽死といった議論は全くなされていません。また、個人主義どころか、「食べて応援」などという戦前に逆戻りしたかのような全体主義的なフレーズが震災後に流行りました。
確かにまた、「働き方改革」の問題についても議論は盛り上がってはいますが、「その問題を考えざるを得ない」のは、少子高齢化による労働力人口の減少が最たる原因ですが。
私は8年前には結構オプティミスティックな感覚を持っていたため、3.11のような大震災が起きたのであれは、日本人はこれまでの価値観を見直すであろう、と楽天的に考えていました。
しかし、実際はそうではなく、それどころか逆に集団主義に陥り、復興という名のもとにハコモノを乱造し、挙句の果てにはオリンピックを誘致するという、まさに日本人の集団主義根性を満天下に示したものとなりました。
また、それどころか政権回帰し、それまでの従来型の政治を更に悪化させた政治を継続させています。
東北大震災では多くの方が亡くなりました。また、それまで何世代にも渡って築いてきた文明が一瞬にして原野に帰しました。
それらの光景を目の当たりにすれば多くの人の人生観は大いに揺らぐはず、と思ったのですが、復興物語と、お涙頂戴物語に隠され、それらの「生きる意味を考える事を迫られる事象としての東北大震災」との見方はされませんでした。
集団主義をさらけ出した東日本大震災
つまり、日本人というは自分の身に降りかかった恐怖、しかもそれが社会に共通認識とされるような恐怖を受けると、集団主義に自然と回帰するのかもしれません。それは思考よりも先に、本能的にそうなる可能性すらあります。
それは未だにブラック企業が「存続できる」事に見られるような「右にならえ」の精神がDNAレベルで含まれている為なのかもしれません。
まあ、稲作民族で、数百年以上続いて生きた農耕民族のDNAが未だ現代に日本人の頭の中に支配的な状況として存在しているのでしょう。村八分、「お上」に逆らうな、とどこかでブレーキを掛けつづけているのかもしれません。
ブラック企業が跳梁跋扈し、過労死レベルの残業を行なう社会が、変わりたくとも変われない、それどころか「外国人労働者」を導入し、現状低賃金、就職氷河期見殺しの状況を肯定することに必死になる、そんな不条理な、おかしな社会の根本的原因なのかもしれません。
次の大地震への強い危惧
3.11の結果とは「絆」だの「食べて応援」などに見られるように、戦中のプロパガンダ・スローガン「進め一億火の玉だ」をマイルドに表現したものにほかなりません。
食べて応援? 内部被曝の推奨としか思えません。 体内内部で活性化したままの放射性物質は重大な結果を人体にもたらします。
これが震災だからまだ「食べて応援」などという、自傷的なフレーズで済んでいるのかもしれませんが、これが第三国からの攻撃であった場合、国民総ヒステリー状態になるのでしょう。
また、福島の避難者の子供をいじめるなどの醜い行為が行われましたが、これらの行為は70年前に疎開を行なった都会の子どもたちが田舎の子供からいじめられた、それらの歴史的事実と何一つ社会的な意識が進化していないことの現れです。
次に起きると予想されている南海トラフ大地震において、さらにこの傾向が強くなる可能性が非常に高いと私は考えています。
南海トラフ地震の場合、構造線の真上に伊方原発などもありますし、物的、人的被害としては3.11よりも最悪の状態が待ち受けているかもしれません。無論、社会の風潮は3.11よりも更に激烈な集団主義へと回帰するでしょう。
日本は戦後、「奇跡の復興」と呼ばれましたが、その奇跡の賞味期限は醜く悲惨な状況で幕を閉じるのでしょう。
無論、そのような悲惨な日が来ないことを願ってはいますが。
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