この国の教育問題の根本的問題点 教育「無償」化の前に行うべきこと

By | 2017年12月4日

教育の問題の根本に注視しない者たち

この国に未来があるとすれば、それは教育に力を入れる以外にないでしょう。ただ、私は政治家達の教育論とは、それは全く的外れな議論であると思っています。

義務教育の本質とは、知識の詰め込みです。それは応用力、などと言う前に、いかにして、最も記憶力の良い時期に、彼ら、彼女らの知識や知的好奇心を刺激するか、そして、そこに基礎的な情報を詰め込むか、それが教育でしょう。

その上で、義務教育終了後に、勉学を望むものが無償、もしくは低廉な価格で教育を受けることができるようにすべきです。

よく教員達が忙しい、という話題がニュースなどを騒がします。たしかに教員等の残業が非常に多は理解しえますが、そうであれば教員達の給料を減らし、その予算で、教員の絶対数を増やすことにより、きめ細やかな教育を行えばいい事です。

自分達の給料は何が何でも保守しようとした上で、「現場がブラック」などと主張したところで、それには何ら大義はありません。

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教員に何百万円もの賃金は不要だ

また、中学校、高校などには、警官OBなどを学校に常駐する「警備員」として雇い、不良生徒などについては徹底的に指導、隔離すべきです。

それこそが学校における向上心のある生徒を守る、学校の本来の役目です。それを学校の警察化などと言う者がいますが、少なくとも他人に害悪を与えるような生徒については厳罰を持って臨むべきです。

それは、この国の毅然たる態度表明であり、例え10代の若者であっても、罰せられるべきことは罰せられる事を経験を通じて教えるべきでしょう。

無論、彼らとて、そのような愚行に走るのは社会からの疎外感、また経済的格差の問題がそれらの根底あるので、それらを社会的に是正してゆく、また、彼らのエネルギーを「まっとうな方向に」転換する事こそが本来の「教育」のあるべき姿なのですが。

もっとも、この国は「人材不足」と言いながら、いまだにブラック企業が跳梁跋扈しているような国ですから、そのような法に基づいた教育現場の統治、社会の根本原因に向き合うことなど、学校や教育行政に求めるだけ無駄かも知れませんが。

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無駄と利権の集合と化した学校

そもそも学校において、運動会や、遠足、修学旅行といった行事が本当に必要なのでしょうか。

私はそれらの行事が何一つ楽しいとは思いませんでした。学校について、自分が社会に出るまでのモラトリアム期間と捉える幸せな人生を歩んだ人もいますが、少なくとも私にとって学生時代とは、一刻も早く抜け出すべき忌まわしき時間にすぎませんでした。

それらの行事は「チームワークごっこ」として、現在の社会にはびこるブラック企業の「戦士」を作るための行為を教員達が行なっているに過ぎません。

企業とは、社会に出て稼ぐための必要な知識を詰め込む場所であり、その他の「企業の都合など知りません」で全然いいと思うのです。教育現場に友情や、思い出などという「訳のわからないこと」を求めるので、学校はおかしな話になってしまうのです。無論、そこに「国家」としての意図が大いに介在していることは理解しますが。

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