日本の雇用の流動化とは「お花畑理論」でしか無い明白な理由

By | 2019年9月12日

雇用の流動化、というお花畑理論

経済学者だか何だか知りませんが、解雇を自由化することによって、日本の雇用は流動化し、ブラック企業は淘汰され無くなる、などという、お花畑な理論を述べている「学者」や「識者」がいますが、私は冗談もホドホドにしてください、と言いたいですね。

確かに解雇を自由化することによって、労働力の流動性は高まるでしょう。それは否定しません。

しかし、そのためには当然、働く者が守られるべき権利、例えばサービス残業、ブラック企業、それらの企業に対する罰則及び行政の監視及、強制力を持った指導、それらが健全に機能していることが大前提として必要なのではないでしょうか。

これは実際に私の大身の回りで生じたことなのですが、不当な退職干渉を行い、かつ最後の1ヵ月間の給料未払いであったにもかかわらず、その未払い分給料がー半年もの遅延後に支払われました。

しかし、その企業に対して何ら社会的罰則が与えられなかったと言う事例を私は実際に知っています。これは現在のお粗末極まりない良い労働環境を如実に表す実例です。

つまり、それらの「現在の雇用そもそもの大前提」を全く見ず、「雇用の流動化=解雇の事由化 をすればブラック企業、サービス残業はなくなる」と言っているのは、頭の中にお花畑が一面に咲き誇っているレベルで、オメデたく、救いがたい理論です。

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そもそもの雇用の大前提が異なる

確かに欧米では不雇用の流動化が進んでいることは認めましょう。しかし、それらの国では日本のようなサービス残業やブラック企業が存在した場合、それは企業の経営が傾くレベルでの民事訴訟のペナルティを受ける大前提があります。懲罰的賠償という制度です。これに対し日本の裁判制度では、多くの場合、保証される金額とは損害を受けた実費に過ぎません。

日本ではブラック企業で健康を害すレベルの過労を伴うサービス残業をさせた場合の裁判においてすら、そこで支払われる金額は、単に損害を受けた「実費」に過ぎません。

また、そこで支払われる実費は行政書士なり弁護士を使うと、当然、彼らに対して報酬を払う必要があり、そこで減額されるため、結局、裁判で勝ったとしても、本来であれば当然支払われるべき、本来、得られるべきはずであった収入よりもはるかに少ない金額となってしまいます。

つまり現在の日本においての労働政策とは、企業が働く者に対し劣悪な扱いをしたとしても、基本的には実費以外には何も払う必要はなく、問題のある雇用をしてもバレなければ企業丸儲け、という現状があります。

それはもはや、良い、悪い、以前の問題で、法治国家として先進国と名乗っていることすら恥ずべき事態として取り上げられるべき深刻な問題です。特に、それと流れを全く同じにする外国人「研修生」に対する劣悪極まりない労働環境の問題などもあります。

それらの根本的な問題を差し置いて、一体何が雇用の流動でしょうか。

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雇用の流動化を主張する者たちの本音

結局、雇用の流動化だとか解雇規制の自由化と言っているのは、一見、働く者の側に立ったように見せかけ、実は財界べったり、もしくは為政者べったり、の意見です。

そもそも本来、法律に従って、先進国では当たり前の働く者の権利の当然の法律が守られていない状況で、それを「改善」するため、また何か新しいことをしようとする、それ自体がもはや矛盾だらけと言えるのです。

いま求められるべきこととは、現在の労働基準法を確実に守らせること、そして労働基準法守らせるために労働基準監督監を増員し、必要であれば彼ら彼女らにノルマを設定し、遵法精神をあらゆる企業に植え付ける事が大前提でしょう。

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雇用の流動化欺瞞の一例

覚えているでしょうか?「家族団らん法案 = ホワイトカラーエグゼンプション=高度プロフェッショナル制度」の別名で法案が作られるようとしたことがあります。
名前を変えて問題の根本を覆い隠す、為政者の欺瞞が一番分かりやすい例として、「家族団らん法案」などという欺瞞を振り回したのですが、それと今言われている雇用の流動化は全く同じことです。

雇用の流動化と言っているのは、決して働く側の者ではなく、財界の提灯持ちの経済評論家、もしくはブログなどでアフィリエイト狙いの転職サイトを進めるような人々がメディアの御用商人として、そのような意見を述べているのですね。

彼らは、一見、合理的な新しい提案のように見せかけて、実は今そこに放置されている問題を全く直視しようとしない、どころかその問題が放置されている原因を「解決する」と称して、さらに働く者を窮地に追いやろうとする者達です。

ちなみに、その後、「ホワイトカラーエグゼンプション」とやらの法律で実施されたのですが、現在のところ、ホワイトカラーエグゼンプションはその採用が極めて少ないと言われます。

まあ、それはそうでしょう。もし、そのような新しい制度で、まず問題が起これば、その企業は社会から袋叩きになる事は目に見えているのですから。

雇用の流動化は為政者への追従のリトマス試験紙である。

一見まともそうなことを言っていても、中身は明らかに為政者と財界の提灯持ちでしかないのですから、それらの主張を行うものは、「働く者への敵」としてのリトマス試験紙として使うにはよいのかもしれません。

少なくとも私は、そのようなことを言っている時点でもはや読むに値しない議論、一見働くものの側に立ったように見せかけつつ、為政者にすり寄るような意見であると思わざるを得ません。

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