なぜ就職氷河期世代を放置するのか、その隠された意図と本当の理由について

By | 2018年2月12日
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まずは結論から

現在の支配層の子や孫は、いずれ為政者になる事が確定しているのですから、社会を回すための労働は外国人労働者にさせれば良い、との思惑が根底にあるためではないでしょうか。

現実的に、現在でも技能実習制度という名前で外国人労働者の方が多数、日本国内で働いている状況です。

また、都市部などにおいては外国人の方がコンビニエンスストアでアルバイトをしている事はよく目にする事があります。いつの間にか、日本の街に外国の人々が増えている、そんな状況です。

無論、言うまでもありませんが、私は外国人労働者の方々の存在が「悪い」と主張するつもりは一切ありません。彼らは日本国の法律に基づき「合法的」に日本国内で働いているのですから。

特に留学生ポジションの場合は、「留学生が生活をするためのバイト」である位置づけで行っている事も多いようです。

そのように徐々に外国人労働者を日本国内に導入する事により、一時的に労働者の絶対数が、「失われた世代」が結婚も出産もする事ができない結果、目減りするとしても、この国の経済を回して行く事ができる、と為政者たちは考えているのでしょう。

ただ、その結果として、メディアが散々喧伝している、いわゆる「おもてなし」や「匠の技」は、今後消え去るのかも知れません。

無論、為政者の保身の優先順位とは、国会議員、中央官庁、大企業、地方議会、地方行政、その後に中小企業、そして末端としての、それ以外の国民、という順位づけなのでしょう。

「人材不足」のための「研修生」と言う名の外国人労働者の導入は、今後、より大々的に行われるのは明らかな事ではないでしょうか。

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失われた世代の救済策を行わない理由

失われた世代とは、2000年代前半におけるいわゆる就職氷河期の人々が、そのまま時代の経過とともに、不安定な非正規雇用や派遣労働などの不安定な身分を固定されたまま現在に至ってしまった事がその原因としてあります。

その結果として、特に女性については就職氷河期の人々が40代に差し掛かかろうとしていることは、彼女らが子供を産む事が厳しくなりつつある状況を生み出しつつあります。

現実的に、就職氷河期世代の出産適齢期としてはラストチャンスであるこの数年に、「失われた世代」を為政者が救済を行おうとすれば、まず責任問題が自分たちに対して噴出するため、それを回避するために、問題のを見て見ぬふりをしているのも別の理由として存在するでしょう。

今それらの「失われた世代」の救済策を行おうとすれば、民主党政権はわずか数年の時間しか成立なかったのですから、当然、現在の為政者の責任問題となる事は明白です。

今、これだけ少子高齢化社会の将来を覆う暗雲が目に見えているにもかかわらず、それに対し、何らまともな対応をしようともしない為政者は、究極的には、「失われた世代」を「無かったことにしようとしている」と、言えるでしょう。

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「失われた世代」の生き方として

失われた世代が今後生きてゆく方法として、社会インフラの最大限の活用、国民の権利の最大限の利用がまずあるのではないでしょうか。

就職氷河期は人為的に作られた世代であり、それが救済されないのであれば、生活保護などを積極的に利用するのは当然の権利です。

もちろん、そのためにはどのような公共サービスがあるのか事を自分で調べる必要はあります。しかし、幸いな事に今ウェブでの情報は誰もがアクセスできる状況となりました。もちろん、ネット上では様々なデマも飛び交っています。

為政者達は、生活保護について、ネットを使い、デマを撒き散らし、当然の国民の権利である生活保護を受給しにくい、もしくは、事実上利用できないサービスにしようとしています。しかし、それこそ社会責任の明白な放棄と言えるでしょう。

役所による生活保護申請の「水際作戦」? それは単なる行政不作為のごまかしに過ぎません。

一方では、今現在では新卒の若者達の就職状況が改善されていると聞きます。

しかし、それは、今まで散々、期間従業員や派遣労働者に頼ってきた企業が、自らの存続への危機感から若手の採用に前向きになっているにすぎません。

無論、企業が新卒を取りたがるのは、「もの知らぬ若者を安く使える」からに過ぎません。

今「就職の好状況」に存在する若者は、その根本的な理由を良く考えるべきす。それを知らず、まるで、あたかも現在の好景気や就職のしやすさが、「為政者のおかげ」などと考えれば、それは自分達に対し究極のツケして巡り巡ってくるでしょう。

私は、「失われた世代」は法的範囲内のあらゆる手段を使って、しぶとく生き残れ、と主張します。恥も外聞もないのです。そのためには、まず社会全体の矛盾が自分達に押し付けられた自分達の境遇を理解すべきです。

それを、決してインターネット上に飛び交うデマやまた、為政者の言う「自己責任」と捉えるべきではありません。就職氷河期を作り出したのは、明らかに社会的責任であり、人員的に作られた状態であり、それは社会的責任として全ての世代が責任を負わねばならないはずの問題であるのです。

自分が生き抜くために、今の社会をどのように捉えるかは非常に重要な事項です。「自己責任」? それは社会責任の放棄の言い換えにほかなりません。

とはいえ、私は、結婚と子供を持つ事が幸せである、との社会一般的な定義について理解はしますが、それだけが幸せであるとは思いません。

恋愛は何歳からでも可能です。また、子供を望まないのであれは、結婚はいつでも可能です。

子どもがいなくとも、幸せな家庭は世の中に数え切れないほど存在するのですから。

たとえ、今、「就職氷河期世代」の人々が苦境にあるとしても、世間のいう「幸せ」を疑うのであれば、「幸せ」は、何歳からでも得られる、と私は確信しています。

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