就職氷河期世代の住まい 地方での世代コミュニティのあり方を考える

By | 2019年3月25日

お断り

というほどの事ではありませんが、ここに書いてあるアイデアを是非ともパクっていただいて結構です。

現実的に、いわゆる「ブロガー界隈」が地方に住み着き、「ブログで食べていく」事を目指すと称しながら活動していますが、それとは一線を画す地方移住の考え方として記述します。

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結論から

就職氷河期世代が「住処、住所」を作るため、過疎地域に入って地域一定規模以上の古民家や土地を買う事で、そこに、シェアハウス的な、もしくは、「住所」としての住処作る考え方です。

結局、ホームレスなどの絶対的な貧困に陥ってしまう状況とは、住所が無いがために就職をする事ができない状況が根底にあるのですから。

住所さえあれば、そこから出稼ぎにゆくことは可能ですし、また、自給自足に近い生活をすれば、月数万円程度での生活の完結も可能となるでしょう。

では、どのようにして食べていくのかを考えた場合、一定の手に技術を持っている者、例えばプログラマやデザイナー、住処を修繕するための大工など技術を持った者がそこに定住し、都心部にはそれらの技術の営業を行う者が存在することによって、コミュニティの維持、持続が可能ではないでしょうか。

つまり、自分の持っている技術をお互いに出し合う事によって生活を成り立たせていく事を目指すのです。

実際、現在のブログ界隈でも、それらはリンクという形では成り立っているのかも知れませんが、彼らは実体経済を回しているのではなく、単にブログを書く事によってフリーランスを気取りたいだけなのではないか、と思わざるを得ませんが。

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コミュニティと選挙

当然、そのようなコミュニティに何十人かが定住し、賛同する者達を含めれば町議会議員などを選出する事も可能かも知れません。

そうすれば自分達の置かれた境遇を立法のオフィシャルの場を通じて発信する事ができます。

それは、やり方次第によっては、現代の選挙制度の合法的な枠組みの中での強い発信力となるでしょう。また、そうする事によってしかるべき技術を持った者を集める事も可能になるかも知れません。

特に地方議員は、なり手がないなどと言われている状況の中で、これまで社会から抑圧を受けてきた者、弱き者、就職氷河期の世代が新しいコミュニティを作り、そこから議員を輩出する事は、世の中にとって大きなインパクト、そして、主張を伝えるための手段となり得るでしょう。

別に、そのコミュニティに政治的な思惑が必要であると思いません。また、そこで恋愛も好きにすれば良いと思います。

お互いの持っている技術を相互に使う事によって、生活コミュニティを運営していく目的にさえ合意すれば、別に、それのメンバーに右派と左派が混じっていたとしても何ら問題はないでしょう。

なんなら、そのコミュニティコミュニティーの中です政治的な議論は一切禁止するとしても良いかも知れません。

また、共同生活ではなく、あくまでも「住みたいものが住まう、田舎のアパート的、小さな集落」的な姿が望ましいのではないでしょうか。

現在の為政者達が、「カネ」という点においてのみ団結しているのと同じように、「自分達の生活を守るため」一点にのみ合意したコミュニティや、そこから選出された政治家は大いに意味があるでしょう。

町議会議員などを選出できた場合、就職氷河期世代に対する生活保護のあり方などを行政を巻き込んで提案していく方法も大いにあり得るでしょう。

もちろん、その場合、元々の住民達が反発をする事は安易に予想されます。

しかし、それらの町民にしたところで派遣法などを推進した議員等を輩出した原因の一因であるのですから、それらの「反発」は就職氷河期世代の意見が全国に伝えられて行くに従って発言を止めざるを得ないでしょう。

そのような政治的思惑のないコミュニティから選出された、就職氷河期議員の存在は、それらの村社会の閉鎖的な側面をコンテンツとして晒し者にする手段も大いにあり得るでしょう。

また、それの就職氷河期コミュニティの拡大を恐れた市町村の為政者達が、入町の拒否、住民票移動の拒否などの措置を取るかも知れませんが、それらの行動を「行政不作為の実況動画」として動画撮影などを行い、YouTubeにアップロードをする事によって行政の無為無策を訴える事も面白い手段となりえます。

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村八分は最初から存在するものとして考える

どうせ村八分は、最初から存在するものとして考えるべきでしょう。

そもそも村八分をするような者達は、いわゆる保守系政治家に投票している者達であり、彼らによって支持された政治家は、就職氷河期を生み出した原因としてのブラック企業の惨状や派遣労働の無制限な拡大に見て見ぬふりをしてきた者達、すなわち、加害者側の者たちです。

それらの者を投票により支持し、延命させてきた者達に対して何らの情け容赦は必要ありません。

この記事を書いていて思ったのですが、それは、上九一色村におけるオウムのような行動と類似した部分があると指摘をされるかも知れません。

しかし、私が訴えている就職氷河期村とは、すなわち、思想や信条は全く問わず自分達が生き残るための手段です。

現在の為政者が、カネにのみに共通した理念において行う連帯と一体、何がどう違うのでしょうか。

彼らはカネという一点のために自分達の思想信条をすり合わせ、産業界にとって都合のいい法律を作ってきただけなのですから。

就職氷河期世代の者が生き残るためにコミュニティを作り、そこで生活を運営していく事は今後、真剣に議論されるべきテーマであると私は訴えます。

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