就職氷河期は環境保護を一切行う必要などない 政治の優先順位の誤り

By | 2022年5月30日

環境保護なる先進国ごっこ

私は日本のテレビは、単なる「プロパガンダ大本営発表の白痴製造マシン」としか認識しないため、海外のYouTubeで流されるテレビなどを見ているのですが、海外では、やたらと環境保護について各国が主張しています。

まるで環境保護を主張する事は先進国の義務であるかのような、もしくは、何らかの宗教的信念に基づいているかのような、そんな感じすら受けてしまいます。とはいえキリスト教の国だけが環境保護を主張しているのでは無い事も十分に理解していますが。

ただ、環境保護とは、就職氷河期の世代にとっては全く意味のない事ではないか、と考えます。

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環境保護は就職氷河期には関係ない

なぜならば、環境保護とは、今ら10年後20年後の話ではなく、もっと先の50年後100年後といった中期的、もしくは長期的な将来の問題を今から考えようという話です。

今、日本において子供のいる家庭とは、勝ち組もしくは、何も考えてないドキュンカップルを指します。

そのような者たちのために、我々が今の行動を制限される、という考え方です。

私が就職氷河期世代かどうかは、ここでは書きませんが、少なくとも、もし私が就職氷河期世代であるとするならば、上記の二者の子供のために、なぜ自分の今の生活に不便を強いられねばならないのかについては著しい疑問を抱かざるをえません。

50年、100年、そんな将来のために今の生活を制限するのであれば、まず就職氷河期世代を救済してはいかがでしょうか?

就職氷河期世代はまともな就職口も与えられず、それに伴い結婚する事も、当然子供を持つ事もできていない状態です。

就職氷河期世代はあと10年後あと15年後には年金の不足などによって、いわゆるところの「無敵の人」になってしまうのではないかが、喫緊の課題として捉えられています。

それらの差し迫った問題を論じずに、何が環境保護か?、という事です。

環境保護とは、政治屋にとっては「やっているフリ」を非常に行いやすいテーマであるといえます。

環境保護という政治的パフォーマンス

例えば、某七光り政治家が導入したコンビニなどでの買物袋の有料化などが挙げられます。

あれは極めてわかりやすい消費者への責任、負担の転嫁ですが、有料化ではなく、なぜ環境へ低負荷のバイオプラスチックを使用したレジ袋の使用を各小売店に義務づけないのか、なぜ、それを消費者に転嫁しようとするのか? 甚だ理解に苦しみます。

環境保護と言いながら実際はレジ袋の有料化によって小売店に利益をもたらそうとする小賢しい政治屋の利益誘導が透けて見えます。

もちろん、政治屋達にとっては買い物のために3円の負担が増えようが全く知った事ではないのでしょうけれど。

反環境保護の簡単な活動

個人的にはゴミの分別などは一切無視していいと思っています。

ゴミの分別がエコロジーだのなんだろうと言われますが、そんなものは本来、行政の側が勝手に分別をすれば良いことです。

現在、不況のどん底にあって、いくらでも職にあぶれた者たちがいます。

その者たちを行政の公務員の給料を削ってでも雇って分別をすれば良いことです。

ゴミの分別等は一切協力する必要はありませんし、時間の無駄です。

分別の必要なゴミは、こっそりとゴミ袋の中にまとめて入れてしまえばいいように思えてなりません。

ゴミ分別で問題になる原因は、ゴミ袋の外から分別されていないゴミが見えるため、問題になってしまうのであって、分別外のゴミを新聞紙などに包んで燃えるゴミ等に混ぜ込んでしまえば、外から見た限りでは分かりません。

無論、それを推奨するわけではありませんが。

ゴミの分別によるエコロジーなどと言うのであれば、まず公務員たちがしかるべき選別をする人物を雇って行政のサービスとして、それを行うべきです。

予算がないならば、まずは、公務員たちは自分たちの給料を削って人を雇えばいいことです。それこそがパブリックサーバントとしての役目です。

本来すべきことをせずに、なにが環境保護か? この国の馬鹿げた政治屋の「やったフリ」に付き合うほど人生は暇ではありません。

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